9/8(火)山野冨士講の歴史
冨士参拝の説明や冨士道中日記の実物公開も
葛飾公民館(船橋市西船3-6-25-201)で9月4日、「かつしか歴史と民話の会」主催の「山野冨士講の歴史」と題した講話が行われた。
講師は冨士講の経験もある元山野町会会長石井温さん、元山野町会副会長新川博さんが務め、山野富士講の歴史や実物公開となった道中記について語った。
冨士講とは、富士山を崇拝する人々によって組織された講社で、富士山へ登拝し修行することを目的としている。山野浅間神社(船橋市西船1-5-7)でも毎年氏子による冨士講が行われている。
前半は拝み方の作法や富士登拝について、登拝するときに着る白装束について説明を行った。白装束には登るたびに判子が押され、何度も同じ場所を登ると判子を重ねて押されるという。スタンプラリーみたいだと子どもたちに言われたエピソードなども披露された。
また白装束を着た講師とゲストの石井秋弘さんと平野行雄さんが、鈴(れい)を振りながら掛念仏(六根清浄)も披露した。
後半は伊勢道中日記、冨士道中日記の原本が披露され、その原本を訳した(訳:新川博さん)資料も公開された。1852年(嘉永5年)伊勢他参詣の67泊68日の行程についても説明がされた。
「かつしか歴史と民話の会」は船橋の歴史と民話について研究している、葛飾公民館で活動しているサークル。同委員長の伊藤邦夫さんは、「会が始まって17、18年経ちますが、とても良い内容になってきた」と語る。
参加した中川康三さん(84)は、「船橋は人が多く大きい街ですが、古いものが残っていて歴史が生きていると感じた。船橋のことがわかってうれしい」と感想を話した。
※この記事に記載の情報は取材日時点での情報となります。
変更になっている場合もございますので、おでかけの際には公式サイトで最新情報をご確認ください
Sponsored by MyFunaサポーター