2015年03月12日 配信

3/12(木)震災から丸4年、宮城県石巻市を訪問

船橋市内で牡蠣を食べて復興支援プロジェクト 

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東日本大震災から丸4年目となった3月11日、船橋市内の飲食店経営者とMyFuna編集長の山﨑が、宮城県石巻市小網倉浜の漁師グループ「大漁プロジェクト」メンバーを訪ねた。

今回の訪問目的は、「船橋市内の飲食店で震災丸4年目の3月11日に復興に向かっている宮城県石巻市の牡蠣をみんなで食べて震災に思いをはせ、復興を願おう」という企画の牡蠣を仕入れに行くこと、昨年秋に実施した食べ歩き企画「ふなばシル」で集まった支援金を同プロジェクトメンバーに届けようという二つ。

船橋を出発したのは10日23時過ぎ。飲食店経営者の伏見太郎さん(38)と森祐次郎さん、飯田敏明さん(ともに32)が経営する串焼き居酒屋の営業が落ち着くのを待っての事だった。

3月1日に全面開通したばかりの常磐道を使ったルートでの石巻訪問。前日遅くまで編集作業を行っていた山﨑編集長は、同乗の森さんと共に後部座席に乗車後すぐに居眠りを始めた。最初の運転手は、伏見さんだ。

常磐道の「ならはPA」で運転手を交代。飯田さんが2番手を務める。北に向かうにつれて冷え込みは徐々に厳しくなり、ついに雪が舞い始めた。PAから常磐道本線に入ると雪はさらに激しくなり吹雪状態に。

スノータイヤを用意してこなかったステーションワゴンに社長が4人…飯田さんは、速度を落として慎重に運転をするが、背後からは先を急ぐトラックが車間距離を詰めて威圧する…

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肝を冷やしながらしばらく運転を続け、朝4時前に「春日PA」で朝食。ご当地ものを所望するも、どの店も開店していないため大手コンビニチェーン「ミニストップ」でカップラーメンやパンなどを思い思い購入し朝食を済ませた。

一般道に入っても雪は止む気配を見せない。石巻市内でも特に被害の大きかった南浜地区「がんばろう!石巻」の看板前に5時すこし前に到着。震災直後、学校から火の手が上がっている映像で知られた南浜地区の様子は昨年と何も変わっていないようだった。ただっ広い平野にただただ雪が降るだけだ。

震災から丸4年目のまさにその日とあって、取材のカメラが数台看板前の献花台の映像を撮っていた。降りしきる雪の中、献花台に黙とうをささげ、次の目的地に向かおうとしたその時、大きな看板に気が付いた。

Stand UP!門脇 新たな門脇が動き出す。

UR都市機構が復興に取り組んでいるようだ。震災から数年を経て、街ごと生まれ変わらせようという取り組みが現実に動き出しているのを実感した。親門脇地区(門脇町、南浜町の一部)約23.7ヘクタールを石巻市から要請を受けたUR都市機構が、大規模な市街地造成事業に動いているというのだ。

合わせて2016年6月までには、仙台~石巻間でJR仙石線が線路と駅舎を500メートル高台に移して全線開通するという。確実に復興に向かって動き出しているのを感じた。

 

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石ノ森萬画館

次の目的地、石ノ森萬画館に到着したのが5時半を少し超えたあたり。当然この時間には営業していない。「震災前にここに伏見屋という名前のお店があったようなんです」とポツリ、伏見さん。震災直後に炊き出しで被災地を何度も訪れていた伏見さん。漫画館の前で撮影した写真に「伏見屋」という自分の店と同じ店名を見付け調べたのだという。

震災前の平和な石巻の街、そこに自分の店と同じ屋号を持つ店があった。この運命的な出来事で石巻の現状が他人のようには思えないのだという。彼の震災復興の原点の一つがここにあった。

ちなみに萬画館は、全国のファンからの支援を受けて2012年11月17日に営業再開、2013年3月23日にはリニューアルオープンを果たしている。現在は、様々なイベントを行い多くの人が来場している。また、萬画館の隣・中瀬公園でも2月から普及工事が始まっている。

 

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小網倉浜の大漁プロジェクト

その後、8時前に牡鹿半島小網倉浜の大漁プロジェクトを事務所を訪問。メンバーの杉山隆義さんと代表の阿部英則さんに震災当時と復興に関する話をうかがった。

大漁プロジェクトは、浜の復興に最低限必要な2億円という資金を「一口オーナー制度」で、たくさんの人から小口の寄付を集めて達成しようというプロジェクト。

浜で子どもの頃から一緒に育ってきた漁師仲間で立ち上げた。プロジェクトは思ったほどはうまくいかなかったが、最終的に1000万円の資金を集め休止した。一口オーナーになった人には、漁が再開した際にほや、金華トロサバ、あわびなどの中から商品を送って謝意を返した。

その後、国からの補助金なども受けて少しずつ浜は動き出した。1隻1隻船を購入していき、震災直後にはがらんとしていた港にも今はたくさんの船が停泊している。

港も新しくなった。震災で地盤沈下の起きた浜はこれまでよりも海が近くなった。その為、背の高い堤防をつくり津波被害に備えるのだという。牡鹿半島内のほかの浜でも建設ラッシュだ。土地を整地し、新しい建物が建設されている。確実に復興に向かって進んでいるように感じられる。

しかし、現実はそんなに簡単ではない。浜に背の高い堤防を建設する事で海とともに育ってきたこの街から海が見えなくなるのだという。いままで朝起きて波の様子を家から見る事が出来たが、堤防で視界を遮られてしまうのだ。

杉山さんはカツオやマグロの漁船に餌となる新鮮な活けイワシを提供している杉山水産のオーナー。阿部さんは、牡蠣やほやの養殖と遊漁船の運営を兼業で行っている漁師。彼らは本業を震災前同様に伸ばしていったが、仲間の中には被災者の復興支援名目で得た助成金で過剰投資を行い身を崩したものもいる。「分不相応な事業投資をしちゃったんだよなぁ」ポツリ阿部さんはさみしそうに話す。

阿部さんや杉山さんも船の購入で借金は震災前の倍に。借り入れの返済が始まっているが、今年に入ってから暴風による時化が続き、1週間で2日程度しか漁に出られないのだという。「崖崩れで山が低くなって、海が高くなったから風が通るようになったんだっぺか」と、冗談のように話す笑顔には力がない。

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  「借金返済の足しにしてください」と、山﨑から阿部さんにふなばシル参加者からの気持ちがこもった支援金を手渡した。ふなばシルはチケット1セットに付き100円を支援金として課している。今回は約700セットの販売だったので、端数を足して10万円を支援金として手渡した。

牡蠣、ほやのうまい食べ方

阿部さんたちの顔が一番ほころんだのが、牡蠣やほやの美味しい食べ方を話している時。自分たちが作った(獲った)牡蠣、ほや、いわしやそのほかの海産物に話が及ぶととてもにこやかな笑顔になる。

震災直後には、養殖用のいかだが流されてしまって牡蠣がとれなかった。昨年は出荷できるようになったものの値段がつかなかったという。今年は、牡蠣の一大産地広島が不作だったので、宮城の牡蠣がバブルになった。通常の3倍の値段で取引されるほどだというが、昨年の値段をみて今年は牡蠣をやめてしまった漁師もいたという。その為、宮城の牡蠣は品薄状態が続いているそうだ。

小網倉浜では、牡蠣のほかに、ほやとムール貝も扱っている。臭みと苦みがあってくせがある味だという「ほや」。そう紹介して「ちょっと食べてみるべ」と、杉山さんがパック詰めした「蒸しほや」と「ムール貝」をレンジでチンして、「できたてホヤホヤだで」笑顔で差し出してくれた。どちらの商品も杉山水産が取り扱っている一般向けの商品だという。

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「うまい!」船橋の飲食店主ら3人は異口同音に感嘆の声をあげた。「臭みが全くないですね」と森さん。「ほやは初めて食べたけど、癖になる」と飯田さん。「ムール貝の甘味がすごいです」と伏見さん。3人は店に帰ってからの商品開発用にと、1袋ずつ土産をもらった。9時半に小網倉浜を後に、一路船橋に向かった。

石巻市街地に入ると、早朝とは打って変わって活気のある様子を見せた。街中で新しい建設物がつくられ、空き地という空き地に重機が入り土木工事の音が響いた。プレハブやトレーラーハウスの販売を行っている仮設事務所が多くみられる。確実に復興に向けて一歩を踏み出している勢いを感じた。

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帰宅困難地域(常磐道/浪江~常磐富岡)を通過

3月1日に全面開通したばかりの常磐道。今回の訪問では、往路も復路も常磐道を利用した。3番手の運転手は森さんだ。復路は昼間だったため福島第一原子力発電所近くの浪江町などの「帰宅困難地域」をガラス越しに確認出来た。

「帰宅困難地域」にはほとんど人の気配がない。除染作業を行っている作業員や作業車両が時折姿を見せるが、民家も田畑も全てが人の営みの余韻を残しつつ荒れている。同地域内の放射線量は、高いところで5.3マイクロシーベルト/時。高速道路の脇に測定数値が表示されるようになっている。

ビニールハウスは支柱がむき出しになったまま放置され、民家は瓦が落ちたままの状態。車や耕耘機は先ほどまで作業をしていたかのように乗り捨てられている。家畜は気のままに歩き回り草を食んでいる。

「除染作業中」と書かれた蛍光色ののぼりが至る所に立ち並び、道の脇には除染放射性物質を詰め込んだ黒いビニール状の塊が積み上げられている。除染作業前の地域では、アシのような背の高い草が生い茂っている。

すでに除染作業を終えた地域では、田畑は丸坊主、放射性物質が道路脇に積み上げられた状態で放置されている。

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船橋市内の6飲食店で復興牡蠣

高速道路を急ぎ、15時半頃伏見屋に到着。4番手の運転手は、山﨑編集長だった。およそ500個購入してきた牡蠣を数え、各店ごとに仕分け、手分けして配送を行った。

この日、復興牡蠣をメニューとして提供したのは、今回買い付けに行った伏見太郎さんが経営する「伏見屋」(船橋市二和東6-17-37 TEL047-447-1355)、飯田敏明さん、森祐次郎さんが共同経営する「炭火串焼びんすけ」(習志野台3-17-9 TEL047-401-9575)の3店舗。

これに、中村修さんの経営する「地産工房KAN」(大穴南1-40-19 TEL047-461-0121)、西内大さんの経営する「FOOD’sBAR unLOC」(北本町1-4-4 TEL047-421-5560)、鈴木雅史さんの経営する「粉者」(本町1-12-22 TEL047-401-2578)の3店舗が共感し、名乗りを上げた。

最後に、高野茂幸さんの経営するワインバーBAN-YA(船橋市本町2-26-1 TEL047-433-3977)が11日朝に急きょ参加表明して全部で6店舗で約500個の牡蠣を提供した。情報の拡散はフェイスブックやMyFunaねっと、船橋経済新聞を通じて行われ、各店で復興牡蠣を目当てにした多くの来店者が飲食を楽しんだ。

それぞれの店舗では、「復興牡蠣1個に付き、任意の金額を寄付1回」などとルールを定めそれぞれの方法で提供した。復興牡蠣は、各店で閉店を前に売り切れたという。

※ふなひま=船橋市のタウン誌MyFunaの公式キャラクター。船橋市の花「ひまわり」を模している。今のところしゃべる予定はない。

※この記事に記載の情報は取材日時点での情報となります。
変更になっている場合もございますので、おでかけの際には公式サイトで最新情報をご確認ください

この記事を書いた人

MyFuna編集部

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