2/29(土)不動院で漁師と津波犠牲者を弔う「大仏追善供養」
市外からの見物客も
本町にある不動院(船橋市本町3-4-6)で、市の無形文化財に指定されている行事「大仏追善供養」が2月28日、例年通り行われた。
同行事は1825(文政8)年から毎年行われているもので、明治以前は1月28日に、今は2月28日に毎年行っている。今年も例年通りに行われ、船橋の漁業協同組合関係者や近隣住民が参加した。例年であれば地元小学校の児童も一緒に参加しているが、今年はコロナウイルス拡大防止で各学校への休校要請が出たばかりで、児童の参加は見送られた。
1746(延享3)年に起きた津波では、この辺りでも多くの漁師や住民が溺死したという。この津波によって亡くなった人々の供養のために建立されたのが、この石造釈迦如来坐像。さらにその後、江戸時代には、この恵まれた漁場「御菜浦(おさいのうら)」の境界をめぐる争いの中で、船橋の漁師が相手方の侍を殴打したことで3人が入牢したという事件があった。牢内では十分な食事をすることができず、2人が餓死したと言われている。これらのことから、津波で亡くなった人、命懸けで漁場を守ろうとした漁師を供養するためこの行事は毎年2月28日に行われている。
参列客の中には「千葉市から来た。歴史をテーマにした街歩きを活動をしていて、メンバーと毎年この行事には参加している。とても興味深い行事です」と話す男性もいた。
同行事では、最初に住職がお経を読み上げ、参加者は1人ずつ焼香をあげた。次に1人ずつ炊き立ての白飯を大仏の口元や顔、体などに盛っていき、全員が付け終わると、また1人ずつ、付けたご飯を少しずつビニール袋に入れて持ち帰る。これは、大仏に付けたご飯を食べると、1年間、無病息災で過ごせるという言い伝えがあるからなのだという。
行事が執り行われたあとで、漁協組合長の滝口さんは「私たちが今、漁業が続けていられるのは、総代さんたちのおかげ。こうした思いで毎年供養を続けています。また、今、船橋では高潮や津波が来たときに大きな被害が想定されると言われています。被害が出てからでは遅いので、改修ができるように国にお願いしているが、被害が最小で済むように事前の準備ができれば」と参加者に向けて話した。
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