2019年08月11日 配信

緑色の看板が目印

8/11(日)丸山の駄菓子店「みどりや」来年末に閉店

3代に渡って親しまれた店に惜しむ声

 丸山の住宅街でで長年親しまれた駄菓子店「みどりや」(船橋市丸山3-7-12、TEL047-439-0704)が来年2020年12月31日に閉店する。

 店内の奥の壁には「閉店までアト○○日です」と書かれた黒板が下がっている。2代目店主の本澤宏道さん(75)は現在1人で店を運営しているが、高齢のために閉店することとなった。「本当は今年75歳なんで運転免許を返納して店を閉めようと思ってたんですよ」と話す。周りから「もう少し続けてほしい」と言われて来年末まで延長することにしたという。

 同店が丸山に店を構えたのは1961年。本澤さんの両親は小岩で日用品の卸問屋をしていたが、本澤さんが高校2年生の時に丸山に移り住んで小売店を始めた。オープン当時の「みどりや」は掃除道具から文房具などを扱う日用雑貨の店だった。高校から帰ると本澤さんも店を手伝っていた。当時は今の店の半分の広さで、右側の角地は駐車場だった。

 当時は最寄駅である東武野田線「馬込沢駅」のあたりに商店や家はほとんどなく、駅から北へ向かって2つ目の踏切である「第2踏切」(現在第1踏切は道路の変更で閉鎖されて存在しない)を横切る道路沿いに商店が集まり、付近には住宅が立ち並び馬込沢駅周辺ではにぎわいをみせていた。「周りは緑が多かったので店名は『みどりや』になりました。当時は『大収湯』という銭湯がありそこに通うお客さんが帰りに商店会で買い物をしていました」と本澤さん。「鎌ヶ谷に精工舎(現在のセイコーホールディングス)の工場ができて小岩から移ってきた人たちが大勢いて買いに来てくれました」とも。

 本澤さんは大学生になると学習塾を開きながら店も手伝っていた。1969年に店舗の建て替えをして、現在の広さになった。出張で網戸の張替えなどもやっていたので当時は忙しく学生アルバイトをやとっていた。1979年に店主である父親が死去したために本澤さんが家業を引き継いだ。「丸山中央商店会」は1984年に誕生。商店会の道路を歩行者天国にして盛大に夏祭りが行われていた時期もあった。次第に「馬込沢駅」周辺に住宅やスーパーマーケットなどの店舗が増えていき、人の流れが変わっていった。

 日用雑貨が次第に売れなくなり「みどりや」は15年位前から駄菓子と文具の店に切り替えた。空いたスペースにはテーブルと椅子を置き、購入した菓子を食べられる場所にした。10~6月はお湯のサービスをし、店のカップ麺をその場で食べれるようにもした。学区内の丸山小学校以外にも近隣の小中学校の生徒が通ってくるという。「長年通ってくれる子どももいて、近況を話してくれるのは嬉しい。ある時は小学生が店のものを盗んで逃げたので追いかけて説教をしたこともあるが、その子は中学になっても通ってくれた」と思い出はつきない。

 丸山はその名のごとく地形が小高い山であるが、谷地もあり坂道が多い。住民の高齢化に伴い、バスの運航を希望する声が住民らから上がり2013年から馬込沢駅発着の「丸山循環バス」が走るようになった。一方、商店会は次第にシャッターを下ろす店が増えてきた。本澤さんは「店が閉店するのは店主の高齢化や介護などの理由が多いが、決定的だったのは『丸山循環バス』が通るようになったこと。今までの買い物客はバスで素通りするようになってしまった」と話した。

 本澤さんは「このあたりはお盆になると家族で帰省する人が多くて、親世代が懐かしがって子どもを連れてきてくれる。中には初代店主の頃のお客さんが孫を連れて来てくれることも」と笑顔があふれる。10円から楽しめる昔ながらの「ジャンケンゲーム」などもあり大人も楽しんでいる。「店をやっていると規則正しい生活ができ、子どもたちから新しい情報を得られるのも楽しい。1人で店をやっているので何かがあった時に回りに迷惑をかけたくないし、余生を楽しみたい。昔のお客さんには閉店までに遊びにきてほしい」と本澤さん。

  • 店主の本澤さん

  • 店内のテーブルで飲食も可能

  • 昔ながらの定番駄菓子やおもちゃ

  • レトロな豆球もある

記事の場所
関連キーワード
情報スクランブル関連記事
加盟店・店舗ブログ

加盟店・店舗ブログ一覧へ