2018年09月25日 配信

住居跡には印がつけられている

9/25(火)「取掛西貝塚」が市内初の国指定史跡へと一歩前進
調査2年目では時代の異なる竪穴住居跡を発見

 船橋市の中央部に位置する「取掛西貝塚」(船橋市米ケ崎町465-1)で、3カ年計画「取掛西貝塚学術調査」2年目の発見内容が9月20日、報道関係者向けに説明された。

 同貝塚は、飯山満町から米ヶ崎町の台地に位置する約1万年前(縄文時代早期前半)の遺跡で、全体面積は約7万6,000平方メートル。これまでにもイノシシ7体とシカ3体の頭骨が配置された全国で5遺跡6例しかない動物儀礼跡が発見され、しかも日本最古のものであるなど、同貝塚は全国的にも注目を集めている遺跡だという。

 調査2年目となる今年は、対象エリアである畑地の西半分、約3万平方メートルで溝を掘るトレンチを設定して調査を行った。なお、同地は農地のため、農閑期に所有者の許諾・協力を得て、発掘調査、地形測量など、さまざまな調査を行った。

 その結果、今年新たに発見されたのは、約1万年前(縄文時代早期前半)の竪穴住居跡7件、約6000年前(縄文時代前期)の竪穴住居跡3件、約2100年前(弥生時代中期)の竪穴住居跡6件などを検出した。「通常、住居と貝塚は別々の場所で見つかることが多いですが、ここでは同じ場所で見つかっている。つまりは、空き家となった建物に貝を置いていたことが考えられ、それは、世代を超えて、人がここに住んでいたのではないかという見方もできる。

 狩猟中心の時代に人々が定住していたほど、環境が恵まれていた場所だったのではないかということが考えられます」と、文化課の道上文さん。また、貝塚を伴って、これだけの集落が台地全体に広がっているのは、関東最大級の規模であり、さらには日本有数規模の集落跡であることが確実となっていきているという。土器は、縄文から弥生土器、弥生石器時代まで、整理箱に約14箱分も出土した。

 また、昨年の調査では約1万年前(縄文時代早期前半)の汽水性ヤマトシジミなどの貝層が見つかっていたが、今年は約6000年前(縄文時代前期)の海水産のハイガイやハマグリ主体の貝層が確認されている。ハイガイは温暖な場所に生息する貝であることから、地球の温暖化や、この時代には海がすぐそばにあったことも推測できるという。「ここは約1万年前から6000年前までの間に起こった環境変動のあり様を示す遺跡としても重要な場所」と埋蔵文化財調査事務所所長の石坂雅樹さん。

 「この場所が約1万年前から、開発工事などで破壊されることなくこの状態を保てたのは奇跡的なこと。今後も破壊から守り、保存していくために、国指定史跡を目指している」と文化課。3年間の調査の成果に基づいて、2020(平成32)年度には国に報告書を提出予定。国や県と協議し、専門家による調査検討委員会で遺跡の価値を検討しながら、守るべき遺跡の範囲を確定し、国指定とする範囲を決定していく方向だ。

 現地は遺跡を地下に残した状態での農地と住宅地であるため、「もし国指定を受けられたら、この場所を開発から守ることができます。現地では営農、住宅には住み続けることができ、その後の整備にあたっては、地権者のご意向を十分に確認しながら進めることになります」と道上さん。

 来年の農閑期には3年目となる「取掛西貝塚学術調査」を実施する。また来年も遺跡見学会などを予定し、発掘体験や見学を希望する学校も受け入れていく予定だという。

※この記事に記載の情報は取材日時点での情報となります。
変更になっている場合もございますので、おでかけの際には公式サイトで最新情報をご確認ください

  • 調査スタッフ

  • 出土した土器の破片は出土場所などを控えてから保存される

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MyFuna編集部

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