船橋の地名には「橋」がつく。
そんな私たちの街・船橋には、いったいどんな橋があるのか見てみよう!
■ そもそも船橋って?!
本町通りを大神宮方面に行くと現れる海老川橋。船橋の名の由来にちなんで船の先頭部が設置されている
■ 船橋の名の由来
市の持つ文献によると、その昔、市内を流れる海老川は現在よりも川幅が広く、水量も多かったため橋を渡すのが困難だった。そこで、川に舟を数珠つなぎに並べて上に板を渡したものを橋の代わりにしたことか「船橋」という地名がついたのだとか。
しかしこれには諸説あり、日本武尊にまつわる説や、歴史的重要人物と橋が関係する説など諸説が語り継がれている。
江戸時代には、海老川の両側の地域(現在の宮本、本町、湊町あたり)と海神近辺の総称が「船橋村」「船橋宿」と言われ、その地域が明治幻年、船橋町となった。
地名の由来を記した碑文もここにある
■ 船橋には全域に川と橋が存在する
「船橋」を代表する川といえばやはり海老川だが、実は、市内全域に川が流れ、各所に橋がある。というのも、船橋には5つの大きな川が流れており、印旗沼・利根川から分かれてくる神崎川と桑納川に加えて、海老川、真問川それぞれからの川、東京湾直流の川を持ち、各地域に川が流れている。
昔から川の周りには生き物も多く、人々の憩いの場ともなっている。市内各所に川を持つ私たちの街は、橋を渡るたびに豊かな自然を感じることができる街ではないだろうか。
古和釜~大穴北地区を流れる木戸川、地域住民の散歩コースとなっている |
湊町近辺は海も近いため、長い橋が多い。潮の香りと静かな水面が人々を和ませる |
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太陽の橋の長さは約84m!しかし、市の管理する橋梁台帳には記載されていない橋なので、ここではランク外に |
国道357号の「栄橋」や湊町の「みなと橋」などは固または県が管理する橋のため、今回のランキングには含めず。
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船橋を象徴する海老川の13の橋 |
船橋の中心市街地に流れる海老川。そこに架かる橋のうち、13の橋はそれぞれ異なる特徴を持ち、船橋の多様な文化を表現している。船橋市観光協会の副会長であり千葉県観光マイスターの海老原義憲さんに、ぜひ見ておきたい橋の特徴を教えてもらった。
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船橋橋[ふなばしばし] |
【船橋のカッパの特徴がわかる橋】 市内で唯一の木製の橋だが、完成したのは意外と最近。平成元年に建設された。 |
栄橋[さかえばし] |
【音符をたどると「手のひらを太陽に」】 「音楽」を象徴する橋。欄干には音符が並ぶ。これは、やなせたかしさんが作詞、いずみたくさん作曲の「手のひらを太陽に」の楽譜になっているんだ。橋の中央には歌碑も。音楽イベントも多い船橋にぴったりの橋だ。 |
海老川橋[えびがわばし] |
【船橋の地名の由来を知れる場所】 市民なら、ぜひ一度は訪れて欲しい橋。「船橋地名発祥の地」にもなっている。遠白から橋を見ると、船のレリーフが見えるんだ。 |
新海老川橋[しんえびがわばし] |
【船橋の郷土芸能・ばか面おどりがここにも】 ここの欄干には小さな鼓笛隊と、船橋の郷土芸能・ばか面踊りの踊り子が並んでいる。祭りをイメージしたこの橋は「和」を表していて、ばか面踊りは昔からの船橋の民、鼓笛隊は新しい人たちを表しているとも言われている。 |
鷹匠橋[たかじょうばし] |
【徳川家康との関係を垣間見られる】 市が管理する中で市内唯一の木製橋だが、橋が完成したのは平成元年。船橋はかつて徳川幕府と関係の深かった場所というのは有名だが、この橋はそれを象徴するような場所のひとつでもある。 その昔、夏見~米ケ崎あたりには、鷹狩りに使う鷹を飼いならす「鷹匠」の中心地だった。ある日、家康は海老川に架かる丸太橋に立ち、鷹匠の放す鷹の鷹狩りの様子を見ていたという。それ以来、丸太橋は「鷹匠橋」と呼ばれ親しまれたと言われており、県と協力してこの橋を蘇らせたのだそうだ。 |
八栄橋[やさかえばし] |
【船橋の公式キャラ第一号「汗一平」】 交差点になっている橋。ここは「スポーツで健康」を表した橋で、船橋市の公式キャラクター第1号「汗一平」の像が立っている。橋のすぐ近くには、かつて海老川ジョギングロードを走っていた有森裕子選手の足形を飾る記念碑もある。 |
イベントに参加して【海老川沿いを歩いてみよう】 |
船橋海老川・長津川福像巡りウォーキング | ||
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第31回 船橋海老川 親水市民まつり | ||
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※この記事に記載の情報は取材日時点での情報となります。
変更になっている場合もございますので、おでかけの際には公式サイトで最新情報をご確認ください