船橋市の教育を司る教育長というポスト初の女性教育長に話を伺った
教育の現場を渡り歩いて生徒と直接対話してきた松本氏
これまでの経験と教育にかける意気込みを伺った
これまでの経歴と特に記憶に残っていることは?
二宮中学校教諭が教員人生の始まりでした。その後、芝山東小学校長、葛飾中学校長を務め、千葉県教育委員会指導課、千葉県総合教育センター、船橋地方出張所で主任指導主事として勤務した後、古和釜中学校長、船橋市教育委員会学校教育部参事、学校教育部長を務め、最後は船橋中学校長を務めさせて頂きました。すべて忘れられないことばかりですが、初任の時、二宮中学校で聴いた迫力のある「大地讃頌」の合唱はいまでもはっきりと覚えています。当時は、三田中と七林中が分離する前だったので全校で41学級もあるマンモス校でした。岡山県の田舎育ちの私ですので、合唱の素晴らしさに圧倒されたのを覚えています。
教師として心がけてきた教育の指針は?
初任のときにアドバイスを頂いた、「教師としてこれだけは誰にも負けないというものを一つもて」「清掃指導が出来て教師として一人前」というこの二つは、教員生活のなかで常に心がけてきました。
また、「学級だより」、「学年だより」、「校長だより」と、常に使わせていただいてきた「恕」(「おもいやり」と読ませる)は、人生の指針となっています。人の心の痛みが分かり、命なきものの命を感じられる、おもいやりのある子を育てればいじめはなくなるはずです。
さらに、船橋中学校で校長だったときには「清掃時の黙働(もくどう)」「挨拶の響きわたる学校」「4つのセイ(誠意・正義・静寂・清潔)のある学校」を軸に学校経営を行ってきました。校長として卒業させた全生徒におくってきた言葉、「春風を以って人に接し、秋霜を以って自ら粛む」は特に好きな言葉です。なかなか、このような人にはなれませんが、いつも心においています。
教員生活を振りかえってみて一言
教師はすばらしい職業です。生まれ変わってもまた教師になりたいと心から思います。私が出会ったたくさんの子どもたちから多くの感動と生きる喜びをもらいました。特に、退職の時、子どもたちからもらった手紙とトロフィーは私の宝物です。
教育委員会の職員に向けてなにか一言
仕事は、楽しく、願わくば元気で明るく活き活きとおこないたいですね。誠意を持って接すればきっとどんな方にも気持ちは伝わるものだと信じています。
松本文化(まつもとあやか)氏
・昭和48年 船橋市立二宮中学校 教諭 |
※この記事に記載の情報は取材日時点での情報となります。
変更になっている場合もございますので、おでかけの際には公式サイトで最新情報をご確認ください