2013年05月01日 配信

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鉄道が走っていない地域も網羅し通勤・通学・買い物等、市民の足として欠かせないものとなっているバス。現在、船橋市内を走るバス会社は6社、合わせて93路線があり、バス停数は328にも及んでいる。バス停名は周辺の地名や目印になる建物、公共施設等が選ばれることがほとんどだが、中には「なぜこんな名前がついたのだろう」と思わず考えさせられる名称も存在する。

201305_bus_00.jpg 【地名研究家に聞きました!】 船橋地名研究会 会長 滝口昭二さん
1997 年に船橋地名研究会(会員180 人)を設立し、市内公民館や社会教育団体に依頼されて、年間60 回くらい市内の歴史や地理を案内している。
地名を中心に習志野原や行田無線史を探求し、船橋の小字を調査研究している。
201305_bus_01.jpg [01]ミートハウス kitchenたか
[02]ちゃんぴ藤原店
[03]ちゃんぴヨークマート藤原店
[04]ちゃんぴ法典駅前店
[05]船橋法典鯛姫
[06]メゾン ド フロラージュ
[07]カット屋ジョニー法典店
[08]パールプラザボウル
[09]華福天空の風パールプラザ店
[10]焼肉やまと船橋本店
[11]船橋温泉湯楽の里
[12]フジスポーツ 山手店
[13]Casual ★ Bar NAGI 凪
[14]ちゃんぴ夏見台店
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①「吹上」

明治時代の小字(市区町村内の区画で、一筆耕地が集合したもの)。
地形の関係で風がよく吹き上げられる所、あるいは湧水が活発な所ではなかったかと思われる。バス停は小字の所よりかなり西にある。

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②「劇場前」

1977 年に閉館した総合レジャー施設「船橘ヘルスセンター」の施設の一部として、「ヘルスセンター大劇場」がこのバス停前にあった。閉館解体後の現在は、ららぽーとの駐車場となっているが、バス停名だけは残されている。

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③「貝塚道」

江戸時代から多くの人々が通った木下街道から前貝塚あるいは後貝塚(現在の旭町)の集落へ行く入口という意味で古くから呼ばれていた。この付近では、ハマグリやアサリの化石が出土している。

④「わらび台入口」

戦後、この付近に開かれた住宅地の自治会名である。造成当時は野原が広がり、わらびがたくさん採れたことから名付けられたという。バス停はこの住宅地への入り口に設置されたことによる

⑤「蔵ノ下」

「蔵」とは江戸時代、飢饉に供えて籾などを収めておく蔵の事で、「村の救荒倉庫」という意味である。夏見の蔵は夏見台地の麓にあり、その南(下)の水田の事をこのように呼んだのである。

⑥「希望荘前」

戦後、このバス停付近に「希望荘」という企業の集合住宅が実在していた。「希望荘」北側には「自由荘」という集合住宅もあった。

⑦「二軒家~七軒家~三軒家」

江戸時代に、夏見の本村から分家して住んだ人たちの家が、それぞれこの軒数であったことに由来している。

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[15]地産工房KAN
[16]手作り惣菜COMECOMEKEME
[17]ivace
[18]御菓子司 扇屋
[19]MRクラフト
[20]Mama家
[21]ヤマハピアノシティ
   北習志野/マイスター北習志野
[22]手仕込居酒屋笑かど
[23]らーめん伍陣
[24]株式会社
佐藤昭商店
[25]マツダオートザム船橋北
[26]寿し処七五三
[27]イシイオート
[28]エイトガーデン
[29]伏見屋

⑧「海老ヶ作」

現在の大穴南の台地上にある江戸時代からの集落名。その村の水場が海老のように曲がった谷にあることからそのように言われたとされる。海老蔓(えびつる)という植物に由来するという説もある。

⑨「清水山」

清水が湧くところのある山という意味。山といってもここではおそらく台地の麓の森をそのように呼んだのであろう。あるいは新開地の可能性もある。

⑩「一丁目」

昭和29年に二宮町が船橋に編入され、昭和30年にこの辺りは習志野町1丁目となり、さらに昭和42年に町名変更の際に習志野台1丁目となり、さらに昭和47 年5月に住居表示の習志野台1丁目となった。

⑪「さざめざく」

「さざめ」とは「ささめ」のことで、笹の葉のように細長いという意味。「ざく」は「作」と表記して、谷のことである。本来は通称地名(※1)であるが、明治9年頃に小字として設定された。

※1通称地名
土地区画整理や住居表示実施などにより「公称地名」としては消えたが、バス停や公園名などで地域に残ったもの

⑫「二和火の見下」

二和小学校前を南北に走る道の一つ西側の道に二和集落が存在し、その一番北に火の見やぐらがあり、当時はバス停もやぐら付近にあった。小学校前の道が整備されるとバス道路が変更され、バス停も現在の位置に移転した。

火の見やぐらとは火事の早期発見、消防団の招集、町内への警鐘の発信などに使われていた見張台のこと

⑬「店舗前」

北習志野駅前の習志野台団地造成の際、居住者用に団地の西端に店舗街が造られた。まだ北側の商店街(現在のJuJu きたなら)がない時期であり、バス停も利用者の便の為に北習志野駅前より一つ東側に設置されたので、停留所も店舗前とされたのであろう。

⑭「梨園」

周辺が住宅地になったことから高根公団駅からのバス路線が設定され、終点であったこの付近が梨園(梨畑)が広がっていたことによる。現在の終点は一つ先のさつき台である。

⑮「聖人塚」

他所からきた旅の僧が、そこで修行する内に病気となり、亡くなったので、村人たちが墓を作り葬ったという伝承は市内にもいくつかある。この地も聖人塚があったことからバス停名に採用されたのであろう。

⑯「白百合団地入」

この周辺が畑ばかりが広がっていたこと同名の住宅地ができ、そこへの入り口としてバス停が設置されたと考えられる。

※この記事に記載の情報は取材日時点での情報となります。
変更になっている場合もございますので、おでかけの際には公式サイトで最新情報をご確認ください

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