春休みが近い。
サザンカ公園の茂みから、おじいちゃんのスクールガードの帽子が見え隠れしている。
ユキはぽんと肩をたたかれた。振り向くと西山のおばさん。あっと大声を出しそうになった。おばさんは唇に人差し指を当てている。
「おじいちゃん、元気になって、本当によかった」ユキは目頭が熱くなった。
「そういえば、あの声のばかでかい子……」
「デカゴエ?」
「そうそう、学校の帰りいつもしょんぼり歩いていてね。声をかけるのがかわいそうなくらい」
ここでデカゴエ、登場しないで。今、いいイメージだよ。サザンカの葉がユキの頬にふれる。しーっと言うおばさんの声が背中に聞こえた。え、うそ。ュ…まではっきりと聞こえた。口を押さえたデカゴエがおばさんの後ろに。ユキは思わずにらんだ。
おじいちゃんは遠くを見ている。 もじもじしながら歩いてくる女の子。目が落ち着かない女の子。たった一人で公園に向かって歩いてくる女の子。
「声なし女だ」
デカゴエの口をふさいだのはおばさんが先。三人は、重なるように茂みから体を乗り出した。
「久美ちゃん、お帰り」
「……」
久美ちゃんの足が止まった。唇がぴくぴくしている。下を向いたままだ。ああ、やっぱり、何も言えないで通り過ぎて行くの。ユキは足で地面をけりたくなった。
「久美ちゃんの手紙のおかげだ。またここに来られたのは」
久美ちゃんの唇が少し開きかけた。何か言いたそう。
「うれしい」
小さい声だけど確かにそう聞こえた。茂みの中で三人は顔を見合わせた。
「私、うれしい」
今度は、はっきりとした声で。
ユキは思わず手をたたいた。おばさんもデカゴエも手をたたいている。振り返ったおじいちゃんには、にらまれたけれども。
桜の硬い芽の中に色づきだしたものがほんのりとのぞいていた。
今年は花見に行くよね。おじいちゃん。
了
【筆者プロフィール】
北澤朔(きたざわはじめ)
山形県鶴岡市出身、船橋市在住
1992年『自転車』で第四回船橋市文学賞受賞
著書/『見つめる窓辺』(文芸社)
『黄色い』(日本文学館)
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