2009年08月01日 配信

市民意識の向上と市民力を高め、

船橋市独自のシステムを

ooshimaWEB.jpg少子高齢化が進展し、家族の構造や経済状況・地域社会の変容等に伴い多様化、増大化する中で地域社会の福祉ニーズに応えるには障害の有無に関わらず主体性を尊重し、尊厳をもってその人らしく地域での生活が送れる様に、社会福祉基礎構造改革をどのように推し進めてゆけばよいのでしょうか。

 

私は生まれも育ちも兵庫県神戸市でありましたが、結婚を機に住み慣れた土地を離れ沢山の土地に移り住む事になりました。

 

転地の先々では学生時代より継続をしておりましたボランティア活動を通して新天地の方々と触れ合い、支えていただく有難さを覚えながら船橋市が最後の転地となり、四半世紀が過ぎました。

 

二人の息子が相次ぐ受験期を控えておりました時期は、ボランティア活動を一時休止しておりましたが、いつしか再開できる日の為にとの想いがありましたので日中の空き時間を利用してセミナーやシンポジジウム等の参加をしながら、見聞きを重ねる努力は怠りませんでした。

 

平成7年1月17日末期、阪神淡路大震災が発生。6千人以上の犠牲者、25万棟にものぼる家屋の全半壊、国内をはじめ世界中を驚かせました。実家を一人で守る母や兄弟達との連絡が取れずにただTVに映し出される友人達が住む町・思い出多い街等の悲惨な映像を目にして、溢れる泪になす術も無く途方にくれていた時「災害の時は公衆電話を利用してください」というセミナー講師の言葉が脳裏をかすめました。コインをかき集めて電話ボックス目指して一目散に駆け出しました。

 

母はご近所の方々の協力を頂き避難所に、兄弟達家族もそれぞれ無事である事を確認できた時は、どれほど安堵した事でしょう。電話で得る現地の様子をNHK民報放送局に情報として流し、逆にメディアから情報収集をしながら1月20日早朝にはJR大阪駅に着き、私鉄に乗り替えて西宮北口駅ホームに降り立った時の光景は、TV画面とは想像を絶する現状でありました。

 

それから先の移動手段は徒歩以外何も無いのです。見ず知らずの人々もそれぞれの目的地に向けて水、食料、寝袋を背負い線路の上を歩き始めました。歩き続けている道中に、「よろしければお持ち下さい」と書かれたいくつかの場所に遭遇致しましたが、残念な事に残った品は缶切りや火力が必要とする品々だけでした。

 

折角のご好意に虚しい思いをしながら母の待つ避難所で再開を果たし実家の全壊を確認して体育館に向かい、震災で尊い命を亡くされた方々の柩が並べられた前に立ち手を合わせ、冥福と復興を祈りながら何かをしなければいけないとの思いがこみ上げてきました。

 

自衛隊・日本赤十字社・物資輸送車が優先の道路も時間と共に夜間に限り一般車の通行が認められ、被災者証明の手続きが始まりライフラインも少しづつ復興に向けて始動となり、母は弟の迎えの車で避難所を後にしました。

 

私は地元民生委員の方と共にボランティア活動に入ることに致しました。全国から寄せられた物資の受入れ・仕分け・配分・避難所への安否の伝達等々、それは迅速に行わないと時間に追われる作業でもありました。

 

病人・障害者・高齢者が常に中心から離れた場所にいる事に気付き、声かけや傾聴をしながら少しでも心の支えになればとの思いでした。あのパニックから20日も過ぎる頃ともなりますと、被災者同士が不自由な生活の中でお互いに助け合い、励ましながら自立への道を開き始めました。

 

この震災を教訓に国や自治体等が緊急時、災害時における対策を行政としてとり行い、又、国民も多くの事を学び、企業努力によるユニバーサルデザインも日常生活に取り入れられる様になり、何よりも全国から集まった大勢のボランティアが文化を生み活動が社会を変えたと思います。

予期しない境遇の中でさまざまな体験を通して時間と人手がこれほど必要であること、自己の無知を思い知る事もできました。

介護研修に参加をする事で知識や技能等を習得し、それを介護ボランティアグループ結成により研磨しながら今日に至ることができました。行政パートナーに加えていただく事で、シニア世代の市民活動への参加促進や団塊世代の潜在パワーを地域社会奉仕に活かすシステム作り・市民活動フェアの開催・これから市民活動を始めようとする方々の相談窓口の開設・活動情報の電子化等に携わることができました。

私はこれらをも活用して頂き、市民意識の向上と市民力を高め、経験の共有が地域交流、住民交流の取り組みとなり人と人とが支えあうその力をポイント制度に置き換えることにより、地域での支援を必要とする人に必要な時、必要なだけ提供できるようにサポーターの育成を行い、ボランティアを受ける側、それを提供する側双方にとって有益な活動へと繋がる仕組みを行政と市民が力を合わせて船橋市独自のシステムとして方向付ける事ができないのか、模索しているところです。

読者の皆さんを始め、市民の皆さんのあたたかいお力添えをいただく事ができますれば、幸と存じます。

●プロフィール/大島保子

・移動支援従事者指導員
・介護ボランティアグループ 発起人

※この記事に記載の情報は取材日時点での情報となります。
変更になっている場合もございますので、おでかけの際には公式サイトで最新情報をご確認ください

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