2009年03月01日 配信

『生き生きとしたふれあいの都市』という

スローガンどおり

市民とともに街をつくっていきたい。

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松本敦司(まつもとあつし)

1966年(昭和41年)8月18日兵庫県尼崎市生まれ。平成元年に総務庁入庁後、人事や行政評価の仕事を行うほか、人事院、財務省にも出向した。平成18年から19年にかけては当時の菅総務大臣の秘書官を努めた。学生時代は野球部、ソフトボール部に所属。座右の銘は「一期一会」。

市長にくらべ、副市長という立場はなかなか実態をつかみにくいものかもしれない。

そこで今月号では、船橋市副市長として多忙な日々を送っていらっしゃる松本敦司氏にお話を伺ってみた。総務省で大臣の秘書官を勤めた経験もお持ちの人物。はたしてどんなお仕事に携わっているのだろうか。そして、どのような視点から船橋を捉えているのだろうか。 

 

—総務省でのお仕事を経て昨年8月に副市長に就任されたわけですが、お仕事について教えてください。

「文字通り市長を支える立場です。市長は非常に忙しい中で色々な決定を行わないといけませんから、決定がスムーズに行えるよ

う、担当と議論して調整を進めておくことが大切だと思っています」

 

—市長の補佐役ですね。

「人口59万人の都市で市長がすべてに目を配るのは難しいですからね。あと、私の立場ですと各方面の方々とざっくばらんな意見交換もしやすいですし、船橋市以外のことも知っているという立場から、助言などもしていけたらと思っています」

 

—どのような目標をお持ちですか?

「財政状況や経済状況も厳しい中ですが、市の側から市民のためになるアイディアをどんどん発信できるようにしたいですね。市役所が元気でなければ、船橋市も元気になれませんから。あと、図面だけ見ていてもわからないので、なるべく現場

を見て、また、最前線で頑張っている人の生の声を直接聞いて判断していきたいと思っています。船橋は今でも活力があると感じますが、もっとポテンシャルがある

はずと思いますので少しでもそれを引き出したいですね」

 

—ところで、お子さんはいらっしゃいますか?

「はい。娘が一人います。結婚してだいぶ時間がたってから子どもができたので、まだ4歳の幼稚園児です。一緒にアンデルセン公園へ遊びに行ったときに娘がとても気に入ってくれたので、船橋に来るタイミングがよかったなと思いましたね。子ども美術館で工作もできましたし、楽しかったです。『春にも行こうね』って話しているんですよ。また、春には海浜公園の潮干狩りにも行こうかと。」

 

—副市長も一緒に工作を?

「はい。普通のお父さんとして(笑)。クリスマス前だったので、キャンドルをつくりました。そのときは私服に着替えて巡回している公園長に気づかれないように紛れ込んでいました(笑)」

 

—お気に入りのお店はありますか?

「まだ研究中ですが、会合では玉川旅館を使うことが多いです。風情のある建物なので気に入っています。あと船橋は路地裏にぽつぽつと居酒屋があるので、いくつかは行ってみたいですね。そのなかから、行きつけの店を探せればいいなと」

 

—立場上、お店に関してもいろんな情報がはいってくるでしょうね。

「そうですね。『三番瀬』というお店が船橋で水揚げされた魚を使っているそうなので、そこは行かなきゃなとチェックしています。あと、『船橋で捕れる白ハマグリは酒蒸しにしたらおいしいので、街起こしに使いましょう』と力説する若い職員がいるので、それも食べてみないといけないなと思っています」

 

—そういうところも含め、船橋を俯瞰して種まきをされている段階でしょうか?

「はい。船橋は他の街とくらべても住民の問題意識が高いですし、小中学校の音楽などの部活もレベルが高い。ですから、市の特徴としてそれらを活かしていけるようにしたいと考えています。それから高齢化の問題ですね。これから急速に独り暮らしのご老人は増えると思うんですけども、『生き生きとしたふれあいの都市』という市のスローガンどおり、皆の出番を作り、孤独を感じさせない街をつくっていきたいと考えています」 

※この記事に記載の情報は取材日時点での情報となります。
変更になっている場合もございますので、おでかけの際には公式サイトで最新情報をご確認ください

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