2009年02月01日 配信

 

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自然の中での暮らしが大切。

家族が楽しむデッキがある庭をつくってゆきたい。

 

有限会社八木が谷造園 代表取締役 鈴木 明

―― この仕事を始めた頃のことを教えてください。

鈴木社長(以下鈴木) 18才でこの仕事を始めたんですが、すぐに麹町の職人のところに修行に出されました。その頃はこの辺りも民家がまばらでしたが、腕の良かった親父は方々から仕事をもらってきていました。麹町と八木が谷を半々で掛け持ちしていたのですが、その頃みんなの初任給が3万5000円くらいだったのに私の給料はまるまる1日働いても1万5000円。休みも毎月給料日の1日と15日のみ。そんなのを3年間も続けて必死で働きました。

―― どんなお父様だったのですか。

鈴木 本当に頑固な親父でした。仕事を丁寧に教えてくれるような人ではなかったのですが、独立したいから仕事を教えてくれって職人が親父のところには多く来たのを覚えています。ほとんどが「ここで三年勤まったら日本全国どこでも勤まるよ」って捨て台詞を残して去ってゆきました。気の抜けた仕事をするとすぐにハンマーが飛んできたりスコップで尻をたたかれたり…。4つ年下の弟が親父の下で仕事を始めた時には、親父の頑固さがひどくて3ヶ月もちませんでした。麹町の親父に「お前の親父は頑固だけど東京一腕の立つ職人だから我慢して頑張れ」と言われていたので、何を言われても意地になって頑張りました。そんな親父だったのでそれまでに一度だって褒められたことがなかった。

その親父が、急に原因不明の病気になったんです。がんの一種だったのですが一ヶ月の検査入院をして「もっても一年。早くて半年で死ぬ」と診断され、治療の方法が無いままに髪は抜ける、力は出ない・・・と、段々弱ってゆきました。

全く私を褒めたことのない親父が枕元に呼んで「お前はもう何でもできる。後のことは頼んだ」と泣きじゃくって言った時のあの辛さはなかったですよ。

―― 今のような鈴木社長独自のスタイルになったのはいつ頃からですか。

鈴木 親父が死んでから10年くらいは和風庭園を造っていたのですが、ある時「これからは和風庭園の時代ではない」と思いたって、仕入れから変えてみました。みんなが、まだ競りで松を買っているときにシャラやオリーブなどを使って自然のよさを生かしたガーデニングを心掛けるようになってきました。そうすることで時代の変化を感じました。今でも和風庭園を造れば誰にも負けない自信もあります。もちろん親父にも負けないという自信があります。

―― 修行時代を振り返ってみてどうですか。

鈴木 本当に頑固な親父で厳しかったけど、今思えば気を抜いていると命を落としたり、簡単に腕の一本くらいは無くしてしまうような仕事です。怒鳴ってわからなければ蹴っ飛ばしてでも教え込まなければならなかったんですね。

あの時、必死にやっていたことが今では本当に財産なんだと実感します。仕事のやり方とかよりも大切だったのはヤル気。覚える気があれば普通5年かかるところを、3年で身に付けてしまう人もいます。私も3年目から急激に腕があがった実感があってどんどん仕事にのめり込むようになりました。これからの時代は自然の中での暮らしを大切にしなければなりません。自然の木の中を散歩したり、庭に家族が楽しむためのデッキを作ったり。そんな庭をたくさん造ってゆくのが私の夢なんです。

住まいの庭づくり・ガーデニング

有限会社八木が谷造園

〒274-0801 船橋市高野台2-7-5 TEL/047-447-1015

※この記事に記載の情報は取材日時点での情報となります。
変更になっている場合もございますので、おでかけの際には公式サイトで最新情報をご確認ください

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