2023年03月29日 配信


「セレモ」会員誌の表紙では、船橋近郊の風景を描くため船橋大神宮やアンデルセン公園など、船橋の名所をデッサンに訪れている。白井市との境界を流れふたえがわる「二重川」は初めて表紙を描いた場所で、好きなスポットの一つだと話す

日本画家 村田裕生(むらたひろき)さん

プロフィール
長野県諏訪市生まれ。船橋市在住。県立船橋西高等学校(現・船橋啓明高等学校)在学中、画家を志す。東京藝術大学日本画科卒業。三溪日本画大賞展など、数々の公募展にて入賞の経験を持つ。2017年より船橋に本社がある葬儀社「セレモ」の会員誌の表紙を担当している。現在は自宅にて「日本画・水彩画教室」を主宰。鎌ヶ谷カルチャーセンターでも講座を開講。
生活の中に美があるのが日本
芸術を取り入れて生きていきたい
 
 日本画家として活躍している村田裕生さん。長野県諏訪市出身の村田さんは、中学3年の春に建築関係の父親の転勤を機に船橋市に引っ越した。現在は不定期で個展などを開催するほか、自宅で日本画・水彩画教室を主宰。教室は少人数制で個性を伸ばすことを心がけている。
 
 絵を始めたきっかけは、小学校時代の先生が絵が好きだったことの影響が大きいと話す。その後、自然と画家になることを志すようになり、大学では日本画科を専攻した。
 
 大学入学後は人物画を描くことが多く、卒業後は、公募展に応募する日々が続いていたという。その後、アメリカに住む姉の結婚式でニューメキシコ州・サンタフェに行ったことがきっかけで、現地の空気や文化に触れ、風景画を描くことに目覚めた。再びサンタフェを訪れたとき、墨絵専門の画廊に出合った。当時アメリカでは墨絵が人気だったことから、試しに描いてみたものが目に留まり、アメリカでの活動につながったという。
 
 墨絵を手がけた当初、水彩画のようにうまくぼかせず悩む日々が続いた。「ある時、白い部分をあらかじめボンドで描き、上から墨を塗ってみたら白黒反転した木が描けた」と話す。後からそれが既にある手法であると知ったが、そのひらめきが独自の創作につながった。
 
 現在は、墨絵を描いた経験を日本画に取り入れた抽象画の制作に一番興味があると話す。「煎茶道をたしなむ母の影響もあり、絵を壁に飾るだけではなく、生活の中に取り入れながら共存することが『日本の美術』の大きな特徴」と考え、花瓶に添える屏風などの作品も描いている。
 
 「今後は画廊ではなく、お寺や古民家で空間を演出する作品を作ってみたい」と目を輝かせる。
 

日本名「白樹」(2003年)
アメリカで活動のきっかけとなった「墨絵」の作品
 

WAMIYABI屏風(2022年)
日本画(120×30cm・2面)
 
 

※この記事に記載の情報は取材日時点での情報となります。
変更になっている場合もございますので、おでかけの際には公式サイトで最新情報をご確認ください

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