今回のブログは「S」と「M」について少々書いてみたいと思います。
予め断っておきますが、この記事は劇団十夢とは全く関係ありません。
あくまでオイラ個人の趣味嗜好です。
決して十夢の団員が変態集団な訳ではありませんので、それだけはご理解頂きたいと思います。
でも、
まあ、
役者なんて「ある意味」で変態ですから、方向性は違えど変態集団である事は確かなのかもしれませんが・・・。
団員はオイラに対して「引く可能性が高い」ので、この記事は読まないように。
んで、これはあくまでオイラ個人の「SM観」です。
押し付けるつもりもありませんし、「いや、それはSMじゃない」という方がいてもいいと思います。
ただ、少なくとも、オイラ個人にとっての「S」と「M」についての話をするだけです。
この手のお話が受け付けられない方もいらっしゃると思いますので、そのような方もこれから先に進むのはオススメ出来ません。
さてさて、
前振りが長くなってしまいましたが、少々語っていきたいと思います。
全部話す訳にはいかないのでね。
ホントに少々。
オイラが考える「SM観」、
それは、
究極の信頼関係
だと思っています。
そこに重きが無いのに、「俺ってドSだから〜」等とのたまう奴を見ると頭をカチ割りたくなります。
勿論、本人はノリやネタとして言っているだけなのでしょうが、「S」からするとSが勘違いされそうで嫌なんです。
暴力的なモノがS。
空気を読まない事がS。
毒舌なのがS。
その場の勢いや流れで「ドSだから〜」と言われるのは、あまり良い気がしません。
その場に居る人達皆が楽しめれば良いのでしょうが、そういう事を言う奴に限って周りが愛想笑いをしてくれている事に気付かないのです。
暴力は暴力であり、
空気が読めないのは空気が読めないだけであり、
毒舌は毒舌です。
自分勝手な行為は「S」では無いのです。
ま、
それを言ってしまえば、「ドMなんだよね〜」も似たようなモノですが、こちらは受身な分、まだ許せます。
単にオイラの属性がSなので、「なんちゃってS」が許せないだけかもしれませんが。
ここで注意が必要なのが、「暴力」についてです。
「SM」において、「痛み」は重要なファクターです。
ですが、オイラが言う「痛み」は決して「暴力」ではありません。
暴力は相手の意向を考慮しませんが、痛みは、相手の意向を考慮します。
ですが、痛みすら、SMにおいては必要不可欠なものでは無いのです。
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ここを掘り下げていくと少々ディープな話をしなくてはなりません。
冒頭で「これは個人的な趣味嗜好です」と断りましたが、流石にオフィシャルブログで書ける内容の範疇から逸脱してしまいます。
いつか、個人的なブログを書き始めたら書くかもしれません。
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極端な話、「究極の信頼関係」さえ築けるのであれば、痛みは必要ありません。
ですが、「個」はどこまでいっても「個」であり、人と人は融合することは出来ません。
その為には様々な信頼関係を構築する為の手段が必要になってくるのです。
それを「ハードル」と呼ぶのか、「調教」と呼ぶのかは人それぞれだと思いますが。
オイラがSとしてMに行う行為。
それは、
人として堕とす
事です。
Mの方には人として堕ちてもらいます。
極端な話、一人じゃ何も出来なくなるかもしれません。
食事も、排泄も、着替えも、日々の生活における【判断】も。
オイラに全て委ねてもらいます。
人は、大人になるにつれ自我が目覚め、自尊心もでき、個が確立していきます。
それを、
崩壊させる。
一切の感情や思考を無くさせる訳じゃありませんよ?
人形じゃないんですから。
オイラが接したいのはあくまで「人」です。
感情も、思考能力も、羞恥心さえ持ち合わせつつ、
それでも、
自らの全てをオイラに委ねる・・・。
だから、オイラはMの方に尽くしますよ。
食事も、排泄も、着替えだってオイラがします。
「究極のSは、究極のMだ」と言う人がいますが、そういう状況を考えれば、あながち間違いではないかもしれませんね。
勿論、こんな状況になる為には、Mの方にはオイラを相当信用してもらわないと無理でしょうね。
信用を得るためには「時間」はどうしてもかかってしまいます。
例えば、
SMというと「緊縛」をイメージする方も多いと思いますが、身体を縛るというのは先々、Mの精神を縛る為に行う行為です。
精神さえ縛ってしまえば、Mをいかようにも楽しめます。
Mの方は空想力が凄いですからね。
言葉(Mの方のイメージ力)だけで縛ることが可能です。
う〜ん・・・・・。
自分の中では「あたりまえ」の事なんですが、既に劇団のオフィシャルブログとしての許容範囲を超えた内容になってないですかね?
常識を書いているつもりでも、他の人から見たら異常かもしれませんから、判断しづらいんですよね。
さて、強引に劇団方面に話を向けるとすれば、
オイラが属性Sで良かったな、と思うのは、「人を見れる」という事です。
これについては、オイラが生来の小心者で気使い屋なだけかもしれませんが・・・。
ただ、人を見れる事とオイラのこだわりが一致するとは限りませんがね(笑)
とにかく、Sって自分勝手なものじゃありません。
寧ろ、他人を喜ばせることに喜びを感じるものです。
大事なことなので、
もう一度言う。
Sは、
他人を喜ばせることに
喜びを感じるものです。
だから、演出としてのオイラも、お客様を楽しませる事しか考えていません。
演出として、今はつらいでしょうが、最終的には役者にも楽しんで欲しいと思っています。
お客様は勿論、役者にも楽しんで欲しいと思っているんです。
ただ、提供側は、楽しむ為には多少なりとも苦労しないと。
不特定多数の方に楽しんでもらう為には、当たり前の事を当たり前にやったんでは伝わりません。
工夫に工夫を重ね、妥協せず「より良いもの」を作る努力をしないと。
そして、その結果、お客様が笑ってくれる。
泣いてくれる。
それが、役者の楽しみ方です。
だから、今は苦しくて当たり前なんです。
今回の記事は哲学的にキリッと決めようと思っていたのに、芝居の話になると、どうしても熱くなってしまいますね。
このブログで書けるのはこのくらいの内容が限界と判断しました。
もし、万が一、まがりなりにも要望があれば、
オイラ個人のブログを作ってそこでもっと詳細を書きます(笑)
ただし、
作った後、
放置プレイするかもしれないけど。