2011年04月28日 配信

4/27(水)宮城県石巻市を訪問!/ふなひまの体験レポート

震災から1ヵ月半。

復興の進む宮城県石巻市を訪ねました

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↑瓦礫の向こうに焼け落ちた門脇小学校が見える

↑水をはじめとした支援物資は十分に届いている

 少人数の避難所や個人宅には行き届かないようだ

 今回ふなひまは、生まれて初めての宮城県入りを果たしました。3/11の震災以降急速に復興の進んでいる被災地。今回は、まるごみ船橋の実行委員長大原俊弘さんの運転する救援物資運搬用のトラックに同乗させて頂き、午前3時に千葉県を出発したのです。同乗者は、ふなひまと埼玉県の元保育士の原由美子さん。今回の目的地は宮城県石巻市。石巻市勤労者余暇活用センターの明友館に支援物資を運び石巻市内の物資が流されてしまった幼稚園に画用紙などの保育に必要な物資を届けに行くのです。

 東北自動車道をひたすら北上、途中休憩を挟み現地に到着するまでに約7時間という長旅でした。

 栃木県に入った辺りから自衛隊の派遣隊が目立つようになります。遠くは九州からも陸続きで支援に来てくれていたようです。途中休憩したPAでも姿を見かけるのは自衛隊員の方々ばかり。どこから来たのですか。と問いかけると「自分は熊本からです」と気さくに応えてくれました。

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 福島県に入るころには、埼玉、愛知、三重など各地から集結してきた警察車輌の姿も見かけるようになります。

 宮城県に入り高速を降ると午前8時ごろ。高校生は普通に通学しています。おじさんも犬の散歩をしています。「ここから5kmくらい走りますよ」と大原さん。

 石巻市内に入っても車は普通に朝の通勤ラッシュとみられる渋滞。イオンやビバホームも営業中。物品も店頭に並んでいます。瓦礫なども幹線道路沿いには見当たりません。「本当に震災があったのかな?」と一瞬疑ってしまうくらいに平和な町にみえます。「最初にここに来た時(3/20頃)にここら辺は瓦礫の山で一斜線分やっとのスペースしかなかった」と大原さん。ここ1~2週間で急速に瓦礫や土砂の撤去が進んだようです。石巻街道沿いでは、チェーンの飲食店なども営業を再開しています。ほとんどの建物の高さ1m~1.5m位に浸水した痕跡が見られる他、窓を開けると少し鼻につく臭いがするほかは本当に普通の町です。

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地元のチェーン飲食店 この日から営業開始 まっさらな幟で営業中をアピール

 石巻街道を左折し漁港が近付くようになると風景が一変します。川沿いの木々はなぎ倒され自動車は横転したまま放置されているという状況。まさに、TVで見た光景が目の前にあります。日本製紙さんなどが立ち並ぶ工場地帯に入ると大型トラックと警察・自衛隊車輌ばかりになります。日常から橋一つ渡ったところで風景が一変するのです。先ほどまでの鼻につく臭いも一層きついものに変わります。

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 日本製紙さんを左折し南浜町に入ると住宅街だった名残の基礎部分のみを残してほとんど建物が残っていません。遠くの方に石巻市立病院や門脇小学校の建物が見えるほかは、ほぼ全壊状態で鉄筋の住宅がポツリポツリなんとか残っていました。

 「この辺りはつい最近まで瓦礫の山で道も無かった。自衛隊が瓦礫を撤去しアスファルトのはがれた道を仮舗装し道を復旧してくれたんだ」と大原さん。捜索活動中の自衛隊員さんに話しかけると「この辺りの一斉捜索は昨日までで終わりました」とのこと。捜索の済んだ車輌や家屋には『捜索済み』という札が貼られ、家主の思い出の品と思われるものはわかり易いようにまとめられています。思い出がいっぱいに詰まった品々が確かにそこに生活があった事を証明してくれます。引き出しやクリアファイルといった日常の全ての物が持ち主のところに帰れる日を心待ちにしているような感じです。

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石巻市勤労者余暇活用センター明友館

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↑明友館のメンバー。63名が避難所生活を送っている。この日は自転車や着替えを届けました

←4tトラックに積んできた自転車を積み下ろしする大原さん

 ここでは、現在63名が避難生活をしています。千葉恵弘さんがリーダーとしてみんなを取りまとめ支援物資の在庫管理、集まってきた支援物資を自宅生活者や他の場所で避難している人へ届けるハブ(中継点)の役割を果たしています。この日、明友館には『歌う旅芸人 う~み』さんが慰問に訪れていました。優しくて深みのある歌声と優しい語りかけに避難所で暮らす人々の目から自然と涙があふれていたのが印象的でした。

 ここでは、自転車20数台、女性用の衣類など4t車に満載してきた荷物を降ろしました。「今のところ最低限度の支援物資は間に合っています。しかし、避難所生活を続けてゆく中でアレルギー対応のミルクや哺乳瓶を洗うミルトンなどのようなピンポイントの物資がありません」と千葉リーダー。これまで大量に送られてきた物資は避難所に備蓄されているが、現状の支援物資では「大衆薬はあっても特定の病気に関する薬がない」「アレルギーの子どもが食べられるものがない」など細かい部分が行き届いていない様子でした。

 小学校5年生のケンイチくんは「地震の後友達と連絡が取れない。一人だけ会えたけど他の友達はわからない。早く学校に行きたい」と寂しそうな表情。小学校・中学校ともにまだ始業を迎えていない様子でした。

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↑DOCOMOから携帯電話と充電器が避難所での連絡用に届いたという ↑大原さんと明友館の友情の証『まるごみビブス』を着て作業する明友館メンバー
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↑学生時代に受けた事故の影響で全身が動かなくなったう~みさんは音楽リハビリで回復 ↑う~みさんの歌声に癒されるライブ
IMGP4031ishinomaki.jpg 明友館のリーダー千葉さんが物資を必要とする幼稚園に案内してくれました
   

学校法人亀山学園 石巻みずほ幼稚園

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↑明友館の千葉リーダー(向かって左)とまるごみ船橋の大原実行委員長(同じく右)

 石巻市蛇田字にある石巻みずほ幼稚園では、新館2丁目の『石巻みずほ第二幼稚園』が被災。新入園の園児に用意した画用紙や粘土といった保育用具が全て流されてしまいました。今回は、余震などが起きた際、避難に使用するベビーカーを希望されていたので画用紙やクレヨン、ポスターカラーや色紙などと一緒に送り届けました。「まだ、新学期が始められていないので何が必要なのかわからない。GW明けを目処に新学期を開始したい」と津田広明理事長。新学期に際し最初に必要なもの以外「これがあったら保育に便利」といったような細かいものは、使うその時にならないと無い事に気が付かないのだという。「流されてしまった物資は僕達が集めてきます。お金は子ども達のために少しでも使ってあげてください」と大原さん。

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同乗者の原さんは同じ保育士として悩みを聞く 復興に向けて笑顔で頑張っている津田理事長と先生達。

 

 住宅が流され、家族と離れてしまった被災地の方々。ふなひまが感じたのは「この震災からの復興には長期の支援が必要になるだろう」ということ。住みなれた街から離れたくないという地元の方々、一から新生活を始めるのが困難な高齢者や障害者。この生活がいつまで続くのか誰にも判らない中で、今必要とされているのはスポットの支援物資。「この場所には支援物資が届いていない」「ここはこれが無いと生活が成り立たない」「これが無いと生活が出来ない」など細かいニーズに個別に対応する情報網と支援体制が必要だということがわかりました。

 また、被災地の方々は突然帰る家も、現金も、仕事も失ってしまった方々がほとんど。失ってしまった日常を取り戻してゆくためには細かいニーズに対応した『望まれている』支援をしてゆく事が大切なんだと判りました。

 今回、ふなひまを被災地へ同乗させてくださった大原さんのブログには、震災直後からの大原さんの活動、被災地で望まれている物資などについて細かく報告されています。「被災地の為に、日本の為に何か出来る事を」と考えている方は下記のブログをご覧下さい。http://blogs.yahoo.co.jp/toshihiro_ohara

 

※この記事に記載の情報は取材日時点での情報となります。
変更になっている場合もございますので、おでかけの際には公式サイトで最新情報をご確認ください

この記事を書いた人

MyFuna編集部

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