2015年03月01日 配信

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船橋が柔道の盛んな街だと言われた時に「ピン」とくる市民は多くないだろう。現在、業界で注目を集めている船橋の柔道とはどんなものなのか?
歴史を紐解いてみた。

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◆船橋は柔道が盛んな街!?

近年、船橋出身の柔道選手が目覚ましい活躍をしている。昨夏、柔道世界選手権で日本代表選手として銀メダルを獲得したヌンイラ華蓮さんは、八木が谷中学校の柔道部出身。総合格闘技団体『DEEP』でフェザー級チャンピオンとして活躍している横田一則さんは旭中学校の卒業生で誠心館奥山道場の出身だ。また昨年7月に行われた、柔道連盟主催の第60回千葉県東葛柔道大会では船橋の代表チームが15部門全てにおいてひとつの負けもなく完全制覇するという、史上初の快挙で話題を呼んだ。

さらに昨年、葛飾中学校柔道部は県大会を3位通過、関東大会に進出。個人でも男子55キロ級の市川龍之介選手が全国大会で3位、女子70キロ超級では吉田菜美選手が5位の成績を修めた。この大会では同じく葛飾中の永沼伴得選手も全国大会出場を果たしている。

ほかにも、船橋市を代表する政治家、元市長の藤代孝七さんと元内閣総理大臣の野田佳彦さんはともに県立船橋高校柔道部の出身。当然のように柔道関係の大会には揃って顔を出している。さらに毎年、市内だけでなく近隣の中学校・高校が集まって盛大に開催される豊富地区柔道大会は、市内でも珍しい「市長杯」争奪大会なのだ。取材を重ねていくうちに発見したこのような事実から「船橋は柔道が盛んな街」だと推測、市内の柔道関係者を尋ねてみた。

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旭中学校卒業生の横田一則さんは実業団を経て、総合格闘技選手として活躍。現在は、DEEPのフェザー級チャンピオンとして防衛を続けている
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世界柔道選手権で女子70kg 級銀メダリストのヌンイラ華蓮さんは、八木が谷中学校の卒業生。世界ランキング38 位からの大躍進を遂げた

◆礎を築いたのは昭和3年から続く街道場の存在

船橋の街に柔道が根をおろしたのは、昭和3年。船橋本町3丁目に今井保さんが道場を開設したことが始まりだったとされている。その後、昭和24年に「中山柔道会」、昭和29年に「船橋柔道協会」が設立された。現在も船橋駅北口からすぐの場所に存在する柔道場は、当時の指導者や道場生が木材の調達からすべて手作りで行ったもの(その後、建築士免許を持つ道場指導者によって耐震補強工事が成された。また、全国でも珍しい趣ある佇まいから、映画の撮影に使用されたことも)。その後、昭和54年3月に「船橋柔道協会」はじめ、市内の道場が協力して「船橋市柔道連盟」を設立。協会はその名称を「船橋柔道会」に変更し、7つの道場が一丸となって連盟を盛り立てていった。

各道場が切磋琢磨してきた結果、現在のようにレベルの高い選手がそろう街になったのだろう。以下に現在、船橋地区で連盟に登録している道場をあげるが、1市で11道場も抱えている街は全国的に見ても船橋をおいて他にないということだ(他市ではあっても3~4の街道場がやっとだという)。千葉県柔道連盟で副理事長を務める船橋柔道会の白鳥與四男さんは「実績、道場の数からみても船橋市は千葉県下でも1、2を争う柔道の盛んな街。もしかしたら全国でもトップクラスではないか」と語る。県内の柔道人口はおよそ6500人で全国でも8番目。そのうち船橋市内には約600人の柔道愛好者がいるという。


船橋柔道協会

船橋柔道会の道場に展示されている開設当時の写真

◆学校教育と連携した柔道の教育

昭和36年頃までは、船橋市内の中学校柔道部でその名を知られていたのは大野隆一先生が顧問を務めていた船橋中学校だけだったという。その頃は、船橋代表として同部がそのまま県大会に出場していた。昭和37年に藤代實先生が海神中学校に柔道部を新設、翌38年には八千代市や習志野市など近隣市にも呼びかけ、5校で「第1回西部地区中学校柔道大会」を開催した。その後、昭和39年に御滝中学校、葛飾中学校に柔道部が新設された。翌年には高根台中学校に、45年には宮本中学校、二宮中学校が市柔道大会に参加するようになり、7校でしのぎを削る体制が整ってきた。昭和52年に豊富中学校に柔道部が新設されると市内の柔道部設置校が17校になった。

昭和50年代に入ると船橋の選手が県内で活躍するようになり、50年代後半は県上位に食い込むだけでなく、関東大会に出場する選手も増加。そして平成元年、初の全国大会出場者が登場した。

平成11年になると、平成17年度の千葉インターハイや平成22年度の千葉国体に向けて、船橋出身の選手を出場させようという強化目標が立てられた。この頃から、市内各中学校柔道部が参加する合同練習会を武道センターで開催するようになり、年間30回を超える定例の練習会によって、指導経験の浅い顧問の指導レベルの引き上げと、指導方法の統一、学校を超えた生徒同士の交流など、さまざまな効果が見られたが、何よりも全体的なレベルの向上が、結果となって表れた。

 

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2014年に団体戦で県大会3位に入賞、2年連続で関東大会に出場した葛飾中学校 柔道部。外部コーチとして10 年近く同部をみている鏑木勇さんは、錬心舘の所属。同道場や中山柔道会などの町道場からも有力な選手が同部に入部する

◆街道場の存在とその役割

船橋市内で柔道選手として活躍する子どもたちの多くが幼年期~小学校低学年頃に街道場で柔道にふれる。中学校すべてに武道館があるわけではなく、その多くが木工室や図工室といった普段使わない部屋や体育館の一角に畳を敷いて練習を行っている。そのため、毎日練習を行える環境にある子どもたちはそれほど多くない。それでも高いレベルを維持できるのは、部員の多くが街道場にも所属しているからだろう。部活のない日や練習後に道場で汗を流し、大人と一緒に稽古をしている。また、高校や大学を卒業すると、実業団に入部しない限りは再び街道場の所属選手として連盟の大会に出場するケースもある。さらに、柔道指導者の多くが、街道場から外部コーチとして学校教育の現場にも力を貸すことで、顧問が柔道未経験の場合でもレベルの高い指導を維持することができるのだ。

市内各所に張り巡らされたこの街道場のネットワークによって、市内の柔道レベルが支えられていることは間違いない。中学生時期は大会によって、個人戦を街道場の名前で、団体戦を学校名で出場する場合もある。こうして選手たちは両方の看板を背負いながら熟成していくのだ。

県柔道連盟の育成部で活躍する関本征幸さんが館長の「明心館 関本道場」。2015 年が10 周年で、小・中学生に全国大会で活躍する選手を多く抱える。「オリンピック選手を輩出するのが夢」だが、「柔道を通じて人間的な成長を促したい」という指導方針

◆柔道は人に対する優しさを教える教育

前出の船橋柔道会師範で船橋市柔道連盟会長・白鳥さんは「船橋市の柔道界は素晴らしい人材に恵まれている。皆が礼儀を大切に、人を尊敬し、雑用なども率先して行う者ばかり。柔道は他の武道と異なり『組む』ことが前提のもの。『組む』ことからお互いの信頼が生まれ、投げる、投げられることから感謝の心が生まれる。人に対する優しさを教えるのが柔道です。生涯を通じて人間教育するにふさわしい人材が指導者としてそろっていることが、船橋の柔道界を支えている」と語ってくれた。

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※この記事に記載の情報は取材日時点での情報となります。
変更になっている場合もございますので、おでかけの際には公式サイトで最新情報をご確認ください

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