船橋の街を代表する都市型農業。
その担い手は普段どのようなことを考えて農業に従事するのか。
―農業を始めたきっかけは?
以前は市の消防職員でしたが、梨畑を営んでいた親の年齢のこともあって体に無理の利く若いうちに、頑張って農業を軌道に乗せておきたいというのもあったので継ぐ事を決めました。
―施設農業へ切り替えたのは、なぜ?
時代の流れと共に段々とこの場所で梨畑を続けることが難しくり、私が48歳の時、現在行っている設備農業への転換を決意しました。不安な部分もたくさんありましたが、少なくとも50歳までには軌道に乗せるために綿密な計画を立てて実行に移したんです。今、私は52歳になりましたが何とか採算が合ってきました。
―新しいことを始めるにあたって大変なご苦労があった事と思われますが、その辺のお話を聞かせていただけますか。
私自身はあまり深く悩まないようにしています。私が悩みすぎていたら一緒にいる家族の方が参ってしまいます。仕事をするにあたってもなるべく余裕を持って接するようにしています。腹八分目といいますか、無理をし過ぎたら年をとってからが大変ですからね。
―農業をやっていてよかった点は?
一番は、何者にも替えがたい親友を得ることが出来た点です。私の場合女房が一番の親友であり、唯一無二のパートナーなんです。一番身近な他人で、一番気を許せる相手。仕事のペースにしても女房に合わせるようにしてます。女房を疲れさせない、自分のペースで突っ走り過ぎない。ともすると、仕事をやり過ぎてしまいがちになるのですが、女房のペースに合わせることで結果的に長く農業を継続することが出来るんです。
自分は、仕事が終わったら酒飲んで寝てればいいけど、女房は毎日の家事があるのでそうはいきません。農家では二人三脚でお互いのことを見ながら仕事をしなければどちらかが病気になっただけでも大変なんです。
それから、周辺の皆さんの温かい協力を感じられることです。特に都市型農業では周辺の皆さんのご協力があってはじめて事業を続けることが出来るのですが、温かい目で見守ってくださる地域の方々がいらっしゃるお陰で私達は仕事を続けてゆくことが出来ます。
農業ってこれだけの土地を使っても収入は本当に驚くほど少ないんです。それこそ旦那さん一人で稼いでくる収入と同じくらいのものを家族総出でやっと稼げるなんてこともよくあります。それでも、仕事自体がなくならず、こんな不況下でも安定していて、しかも、毎日働けるというのは、本当に有り難い話だと思います。自分でペースを調整しながら時間をつくったり出来るのはこの仕事ならではなんだと思います。
農業家 村上孝市さん 船橋市咲が丘在住
(左)災害時には緊急避難場所として使用できるように、登録してあるビニールハウス
(中)船橋市の主力農産物でもある小松菜
(右)ちばエコ農産物の生産圃場看板
ちばエコ農産物とは、
① 化学合成農薬と化学肥料は通常の半分以下!
② 栽培作業をしっかり記録!
③ 栽培前と収穫前の2回の審査!
④ 県の職員が厳しい目で現場をチェック!
⑤ インターネットで情報をゲット!
「ちばエコ農業情報ステーションHP」
http://www.pref.chiba.lg.jp/nourinsui/eco/
※この記事に記載の情報は取材日時点での情報となります。
変更になっている場合もございますので、おでかけの際には公式サイトで最新情報をご確認ください