2016年04月01日 配信

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の人に聞きました!

有限会社櫻井青果 取締役
櫻井竜さん

時代の転換期だからこそ ニーズに合った業態に

津田沼駅近く、前原西の地で八百屋「櫻井青果」が登記されたのは昭和53年。日本中の景気がまだまだ右肩上がりを続けている時代だったという。現在本社を構える船橋市地方卸売市場へ入居したのはおよそ10年前。バブル経済が終焉を迎え、時代の転換期に市場への出店を模索し、業販向けの店舗としてたどり着いたのが船橋市場だったという。
竜さんの父、実さん(66)は、市場内でも伝説的な八百屋。「常に社員よりも先頭に立ってお客さんと接する。誰にも同じように接し、決して高飛車にならない。温厚で人としての器が大きい人」と、竜さんは実さんを評する。
現在同社では、ホテルや老人ホーム、学校給食への納めや飲食店向けの業販が売り上げの多くを占める。一般顧客向けには成田海道沿いの店で八百屋ならではの「今日は良いゴボウが入ってきたから、きんぴらゴボウなんてどうですか」といった提案販売を行っている。
現在仕込み段階にあるのがセブンイレブンとのビジネス。ここ数年見かける店頭での野菜販売を竜さんが手掛けているのだ。「売れ筋商品と毎日ご家庭で使う野菜を考え、オーナーさんに提案している」と、新しい取り組みについて話す。

街の八百屋から業販まで幅広く

簿記専門学校を卒業し、21歳で櫻井青果に入社した。「野菜の量販店」と呼ばれコンビニやスーパーからも仕入れにくるほどの物量を商っていた時期も知る。「父が正直な商売をしてきたので、大量に仕入れてもその日その日で完売。お客さんはきちんと見ているのですね」と振り返る。
「市場に並ぶ商品は各地の産地で自慢の品。これまでにも色々な競争を勝ち抜いてきた優秀なものばかり。値段の安さだけをウリにするのではなく、商品の持つストーリーや産地の特徴、旬や料理の仕方など商品知識を総動員させて提案することで八百屋の独自性と存在意義を打ち出せたら」と話す。
「今後、市場という機能が全く必要なくなることは考えられない。全国から良いものを取り寄せられる市場だからこそ、船橋市場ならではの特徴を打ち出し生き残っていこうと思います」と市場の将来を見据える。

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※この記事に記載の情報は取材日時点での情報となります。
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