9/13(日)習志野原開拓70周年記念講演会
開拓の歴史や当時の写真を紹介
習志野台公民館(船橋市習志野台5-1-1)で9月11日、習志野台公民館・習友会・習志野原歴史研究会が協同開催で「習志野原開拓70周年記念講演会『鍬入れ70周年 開拓者の想い出』」を行った。
「当時を知る方の高齢化が進み、直接話を聞ける機会が少なくなってきた。こうした習志野の歴史をもっと多くの人に知ってほしい」と開催の目的を話すのは習志野台公民館館長・瀬山さん。
当日の会場には当時の様子を伺い知れる展示物も並んだ。 講師は、開拓当時の習志野原北部開拓者・戸石三雄さん(89)、習志野原南部開拓者・佐藤錦也さんが務め、当時の様子を語った。
開拓の始まりは1945年8月21日、習志野学校出身の平林巌さんが農地開発営団に習志野原開拓計画を提案、9月11日には鍬入式が行われたという。終戦から4週間後のことでだという。
「あまりの早さに、終戦前から準備していたんじゃないかと思うほどだった」と佐藤さんは語った。開拓地は佐倉街道を境に北習志野、南習志野と別れており、その中で軍の施設の敷地以外が開拓地となった。
当時は野芝が広がる原っぱで、夜には満天の星空が見えた。土地は農地に適さない痩せた土地で、農業の経験もないうえに開墾から始めなければならない状態で食糧難でもあった。
当時唯一の食料はサツマイモ。それは大和田の「鷹の台ゴルフ場」に軍隊が植えたもので開拓者の命の綱だった、と当時の様子が解説されたほか、1946年6月7日に昭和天皇が習志野の視察に行幸されたときのエピソードなども語られた。
戸石さんは、19歳で開拓に参加、来年で90歳を迎える。 「当時はどこへ行っても食糧難で本当に大変だった。それでも頑張ろうと思えたのは他に何もなかったから。とにかく生き延びることが大事だった」と話し、「まだまだ話し足りない、今後も講演の機会がほしい」と結んだ。
参加した78歳の男性は「私も当時、薬莢を拾いに行ったりしていました。開拓当初のことは知らなかったので、今回こうした話を聞けてよかった」と話した。
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