2009年10月01日 配信

 

船橋市におよそ550年前から伝わっている「下総三山の七年祭り」とは

どのようなものなのだろうか。その由来とあらましについて

MyFuna編集部が調べてきました。

 

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下総七年祭りの由来

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幕張に馬加城があり、その城主が馬加陸奥守康胤の頃(1445年頃)に康胤の奥方が懐妊して臨月になっても、何ら出産の気配が無いので、素加天皇社(現・子守神社)神主 平 勝胤と、三山明神社(現・二宮神社)神主 大進藤原時家の二人に安産祈禱を命じた。

両神主が祈禱したところ、「両社の神影を潔き磯辺に暫く移し奉れば安産疑いなし」とのご神託があったので、両社は神輿を素加(幕張馬加)の磯辺に安置して神主が安産祈禱すると、不思議なことにその夜、海中より龍灯が揚がり素加社へ飛び立った。

そして翌日 七ッ時(午前四時)に奥方は、無事に男子を出産された。
馬加陸奥守康胤は家臣一同と共に喜び、両社のご加護の有難さを領内の村々に触れ回り、素加において安産の神事を行い、又神徳に報いるために総社二宮神社に若殿を伴い家臣を引き連れて安産御礼の大祭を挙行したといわれている。

文安二年(1445年)に始まったと言われているこの祭りであるが、丑年と未年に行うようになったのは、享保12年(1727年)からだといわれています。理由については諸説あるが、一説には8代将軍 徳川吉宗の時代に行われた『享保の改革』における倹約令が有力な説だとされている。

 

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神輿行列の発御

(子ども金棒)

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千葉・習志野・八千代・

船橋の大祭り

●七年祭りの参加神社

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1、【二宮神社(夫)】 船橋市三山5-20-1

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10toku_ninomiya.jpg弘仁年間(810~824)に嵯峨天皇の勅命で建てられたと伝えられている。古くは「寒川神社二宮神社」と二つの名前を一緒にして言ったそうである。第一の鳥居と第二の鳥居の間にある、深山の谷越えのような石段が特徴的。社紋は子持ち亀甲に七曜の千葉氏ゆかりの紋章。

2、【子安神社(妻)】 千葉市花見川区畑町2093

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10toku_koyasu.jpg祭神は、奇稲田姫で、口伝によると、延喜年中(901~923)には安産の守り神として稲田社が祀られており、建久4年(1193)の再建のときに、千葉常胤の息女の安産祈願に効あり「子安大明神」と号されたという。現在の社殿は明和4年(1767)に改修されたものだという。

 

3、【子守神社(子守)】 千葉市花見川区幕張町2-990

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10toku_komamori.jpg神は、稲田姫命を主神に、武速素鳴命、大己貴命の三柱の神である。創建については不詳であるが、神社の古伝によると治承4年(1180)に右大臣藤原時平の後胤藤原諸常が東国へ下向の折に立ち寄ったとあることから、平安時代後期には既に建立されていたことがわかる。

4、【三代王神社(産婆)】 千葉市花見川区武石町1-4

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10toku_sandai.jpg神社の由来等は不詳であるが建仁2年(1202)に千葉介常胤の三男武石三郎胤盛が武石に居住し、領内安全の守護神として明神を勧請し、明神神社を創建したことに始まるという。御祭神として、天種子命を祀っており、社紋は、千葉氏の家紋の九曜紋で、賽銭箱に大きく描かれている。

5、【菊田神社(叔父)】 習志野市津田沼3-2-5

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10toku_kikuta.jpg平安時代初期の弘仁年間(810~824)の創建といわれ、久々田明神とも称されていたが、宝暦年間(1751~1764)に菊田神社と改称した。旧久々田村の産土神であり、祭神は大己貴命(大国主命)である。本殿は、正保3年(1646)と寛保2年(1742)に再建されたと言われている。

 

6、【大宮大原神社(叔母)】 習志野市実籾町1-1051

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10toku_oohara.jpg天治元年(1124)に実籾本郷に創立され、文禄元年(1592)に現在地に遷座された。明治41年(1908)に大宮神社を合祀した。祭神は伊邪那岐神であることから、ここに男女二神が揃い、神社の名前も大宮大原神社となって縁結びの神として庶民の信仰を集めるようになった。

7、【時平神社(長男)】 八千代市大和田新田793・萱田町947

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10toku_tokihira.jpg菅原道真を太宰府に左遷した藤原時平は、道真の死後、都で起こった異変の中で亡くなる。妻と娘は、都を逃れて久々田の浜(今の津田沼の辺り)に流れ着いた。娘は、高津に茅屋を借りて観音様を祀り、亡父の霊を慰めたと言われている。萱田町の地に祀られたのは、元和元年(1615)と伝えられている。

8、【高津比咩神社(娘)】 八千代市高津294

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10toku_takatuhi.jpg菅原道真が太宰府で亡くなると、藤原一族の要人は次々と亡くなった。この異変を人々は道真の怨念によるものと噂する世相に耐えられなくなったのか、時平の妻は5女の高津姫を伴ってこの地へやってきた。父の霊を慰めるため一堂を建て観音菩薩を安置した。

9、【八王子神社(末息子)】 船橋市古和釜町161

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10toku_hatiouji.jpg八王子神社の創建は、平安時代の大同2年(807・延喜式選上100年前)である。祭神は、天之忍穂耳尊、豊受姫尊、天照大神、猿田彦尊、倉稲魂尊で家門繁栄商売繁盛等と子育ての神として崇拝されている。夏の最中でもひんやりとした空気が漂う環境保全地区である。

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●9月13日(日)/湯立祭

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10toku_yudate1.jpgのサムネール画像大祭前の湯立祭り

大祭に先立って9月13日に三山では『湯立祭り』が行われる。湯立祭りは『小祭り』とも呼ばれ、もともと大祭の日取りを決めるために占いの神事が行われていたのが、現在では三山のムラの祭りという性格もあり三山の町内を神輿がくまなく練り歩く。大祭においては準備や運営に当たる三山の人々の「七年に一度きりの神輿を担ぐ機会」として大いに盛り上がりをみせる。

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七年に一度の湯立祭に三山の人々が大いに盛り上がります。

大 祭

この祭りは、神官・役員以下『寅待会(とらまちかい)』の人々が二宮神社から習志野市鷺沼の元海岸だった式場にて海水で手を洗って身を清める11月21日の『禊式』、9社の神輿が二宮神社に集まり『神揃い』で出産を祝う22日の『御礼大祭』、4社の神輿のみが参加し幕張の浜で安産祈願の神事を行う23日の『磯出祭り』で構成されている。

「三山の七年祭りは後が先」と言われることがあるが、それは『神揃い』の神事が出産祝いであるにも拘わらず、後に行われる『磯出祭り』が安産祈願を意味している事からだとされている。

●11月21日(土)/禊式

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10toku_tigiri1.jpg神宮・役員以下「寅待会」の人々が海水で手を洗って身を清めます。もとは裸になって海に入っていました。

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●11月22日(日)/御礼大祭

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10toku_taisai1.jpg9つの神輿が揃う「神揃え場」は全国的にも珍しい。
「三山の祭は一生のうち一度は見るもの」と昔から伝えられているのも納得。

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●11月23日(祝)/磯出祭り

 御礼大祭後、幕張まで
夜中に神輿を運びます。

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※この記事に記載の情報は取材日時点での情報となります。
変更になっている場合もございますので、おでかけの際には公式サイトで最新情報をご確認ください

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