船橋の海苔の歴史


歴史

船橋の海苔の歴史
船橋の海苔の歴史

船橋の漁業は、古くは江戸時代初期化から御菜浦(将軍家に魚介類を納める浦)として漁業が盛んなところでありました。最初に船橋で海苔漁業が始まったのは、船橋漁業史では明治34年のことで、当時の漁師(西尾市蔵・三橋長吉)が町長であった石井清一郎の援助のもとに、200柵を浦安と入会である海面に試験的に行ったのが最初であると言われています。同年に漁業法の発布があり、所定の手続きを経て船橋浦漁業組合の設置許可を県に申請し、明治35年9月17日知事の許可を経て正式に始まったとのことです。
 
大正から昭和20年にかけての海苔について、千葉県水産試験場内湾分場に記録されている船橋海苔生産統計による生産枚数・金額は以下となっております。(※1貫=約3,75キロ)

年代(5年ごと) 生産量 生産額
大正元年 19,375貫 10,656円
大正5年 268貫 2,136円
大正10年 1,239貫 25,128円
昭和元年 統計なし 統計なし
昭和5年 970貫 43,650円
昭和10年 9,247貫 8,442円
昭和15年 4,138貫 226,901円
昭和20年 11,158,400枚 607,244円

昭和30年に入り、海苔の技術改新(人口採苗技術)が全国に普及し、海苔の生産は全国で飛躍的に増加している。船橋においても全国同様にこの技術が導入されて生産量も増えています。
 
昭和40年代高度成長期の臨海工業地帯の埋立てにより、船橋の海苔養殖場も一部消失するも、オイルショックの影響、自然破壊の歯止めもあり、東京湾に残る貴重な干潟(三番瀬)となり、干潟特有の豊富な栄養塩並びに昔ながらの養殖方法の竹ひび式養殖を主流にした当時からの味・香りが良い海苔を今も継続して生産しています。