7/8(金)ふなっしー関係者らがみちのく未来基金へ寄付

船橋のなし、ふなっしーポイントカードなどから寄付を

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事務局を訪問する寄付者も少なくない 丁寧に現状を説明する業務執行理事の末田隆司さん

 船橋のご当地キャラクターとして全国に知られているふなっしーが協力する「船橋のなし」「ふなっしーポイントカード」などから発生した寄付金をもって関係者が7月7日、みちのく未来基金事務局(宮城県仙台市泉区八乙女5-10-8 TEL022-343-9996)を訪ねた。

 

 この日、事務局を訪ねたのは船橋駅前で医療法人社団茉悠乃会(まゆのかい)船橋ゆーかりクリニックを営む寺田伸一さん、弊誌編集長の山崎健太朗の2人。2人は6日夜に仕事を終えてから新幹線で仙台入り、7日朝仙台駅を出発して9時半に事務局を訪れた。

 今回寄付に充てられたのは「船橋のなし」PRに際して、ふなっしーなし箱、ふなっしー梨袋、チラシなどの著作権料。さらに、船橋駅周辺の飲食店30店舗あまりが加盟する「船橋F.B.C.」の提供するふなっしーコラボ「梨ドリンク」のコースター作成に関わる著作権料。そして、ふなっしーポイントカードで昨年末に失効されたポイントなどで総額84万9367円。この日は、目録の受け渡しと記念撮影のみが行われ、翌8日にみちのく未来基金口座に振り込みが行われた。

 みちのく未来基金は、発起人となったロート製薬、カルビー、カゴメ食品の3社からの出向に、途中合流をしたエバラ食品工業からのスタッフを合わせて事務局を運営している。必要経費はすべて支援4社からのもち出しで寄付は全て子どもたちの進学支援に充てられる。

 同基金の支援金は東日本大震災の震災孤児・遺児と認定されれば誰でも学費分の支援を受ける事が出来る。返済義務が無いため、東日本大震災の被害を受けた子どもたちの多くが活用しており4月20日時点で対象となる子どもたち527人が利用している。

 厚生労働省の試算では、東日本大震災による震災孤児・遺児は約1800人。同基金では、震災当時お腹にいた赤ちゃんや、震災発生時に出張や単身赴任などで被災地域を訪れ、震災によって亡くなった人の遺児・孤児も対象としている。事務局の試算では、それらの対象者の支援に約40億円かかるとしているが、現在までに27億円が集まっているという。

 「震災から5年を経て、周囲の方々の関心が薄れているのを感じる。できるだけ早く必要な寄付を集めて子ども達を支援できる体制を確実にしたい」と事務局の末田隆司さん。

 「ふなっしーさんの呼びかけのお蔭で協力をしてくれる団体、企業さんは増えています。ただ、ふなっしー関連の寄付全てがそうとわかるわけではないので詳細な金額については調査できないのが残念ではありますが」とも。

 また、「卒業生の多くが、震災の影響があったからなのか介護士、看護師、栄養士、保育士、公務員、自衛隊などを卒業後の進路として志望しています」と、子どもたちの進路について話した。

南三陸ミシン工房の今

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南三陸ミシン工房のスタッフ 南三陸ミシン工房が作っている「分身ふなっしー」

 みちのく未来基金を後にした2人は、次に南三陸ミシン工房を訪問。南三陸ミシン工房は、ふなっしーが初めてオフィシャルグッズを作った時に、その製作を依頼した工房。震災で家や仕事を失った主婦たちとボランティアが一緒に作り上げたNPOで、ミシンを通じて仕事を生み出し、自立をしていこうと、ミシンを配布したり、最近ではオリジナル商品の開発や販売なども手掛けている。

 ミシン工房では、規模の拡大による事業化を目的にクラウドファンディングを実施。寺田さんは、これをインターネットで見付け、支援を始めた。工房では、15人の登録スタッフが活躍しており、12人が実際に稼働、そのほとんどが仮設住宅での生活を余儀なくされている。

 縫製作業はほぼ自宅で内職的に行われる。毎週木曜日にほぼすべてのスタッフが工房に集まり情報交換やそれぞれの進度の摺合せなどを行っている。

 「震災後、未経験者が集まって手探りで立ち上げた組織なので、縫製のプロでもなければミシンの技術もバラバラ。未経験者も多くいました。それでも、LOFTさんやBEAMSさんなど大手にも満足していただける品質が出せるようになってきました」と、代表の熊谷安利さん。

 「宣伝や営業といった部分が、まだまだこれからなので、これからはインターネットでの通販や情報発信の方法などに力を入れていきます」とも。

 ふなっしーは、一時的に寄付をするだけではなく、なるべく多くの人が関わって、継続的に支援できる仕組みを作りたいと、ポイントカードや船橋のなしに関するPRに協力している。熊谷さんも「情報を伝える手段がないので来てもらって、現地を見てもらえると本当にありがたいです」と話した。

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南三陸ミシン工房の熊谷さんと寺田さん 南三陸ミシン工房の事務所
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  漁港のおかみさんたちが集まって縫製作業を行っている
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南三陸町の今とこれから

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土木工事で市街地全体を10メートル積み上げている  

 南三陸町の市街地は東日本大震災でほぼ全ての建物が流された。「これまでにも30年周期で大きな津波があったそうなんですが、ここまでの規模は初めてだったそうです」と熊谷さん。

 「住宅地は、山を削った台地にどんどん移動しています。町の話では山を削った土砂を市街地に移動し、10メートルの盛り土をした後で工場や商業施設を建てる計画だそうです」と南三陸町の現在を話した。

 かつて町の中心部だった場所にはクレーンやダンプなどの建設重機が走り回り積み上げ作業に従事している。震災前に1万7000人が住んでいた美しい港町は当時の面影を見ることができない。

 少し小高い場所からであればどこからでも海を臨むことの出来た同じ場所では10メートルの盛り土に遮断され海を見ることが叶わなくなった。

 「見る見るうちにピラミッドのような丘が出来上がって、新しい道が開通していきます。また新しい丘を作ると、そっちに道を移動させます。気付いたら道全体が台地の上に移動しているんです」と、熊谷さんは大規模な土木工事の感想を話した。

 「工房のスタッフもほとんどがまだ仮設住宅に住んでいます。志津川小学校の校庭は半分が仮設住宅で使われているままです。少しずつ山を削った台地に住宅地が作られているんです」とも。

 

 熊谷さんによると銀行や病院が移築され町経済の中心は高台のベイサイドアリーナ周辺に移動しているという。

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  仮設住宅が小学校の校庭を半分使用している
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   小さな入り江は簡易的な防波堤を置いたまま
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この高さ10メートルの土手を超えると海が見える 市街地全体を盛り土している

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