2015年04月22日 配信

4/22(水)徳川家康公没後400年を記念しての街歩き

本町周辺の家康ゆかりの地を訪れて歴史を学ぶ

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 徳川家康の没後400年を記念して4月18日、思い・足跡や当時の庶民の暮らしを学ぶ「徳川家康公400回忌街歩き」に31人が参加した。

 主催は市民団体「ふなばし街歩きネットワーク」。街歩きの内容は、船橋御殿跡地(船橋市本町4-29-12)から不動院(船橋市本町3-4-6)まで約2時間半の行程で、家康ゆかりの地を訪れるというもの。

 家康や次代将軍秀忠が東金に鷹狩に行った際、宿泊したとされる船橋御殿は本町通り近くにあり、現在その大部分は民家となっている。案内人の仲村章さんの先導で、まずは御殿跡地外周の路地を歩いて東照宮に到着。参加者は御殿の歴史や、東照宮の説明を受けた。

 森田呉服店前においては、「本町通りは、家康が佐倉藩に命じ、短期間に造らせた御成街道の一部。戊辰戦争の舞台になり、多くの死者が出ました。そのとき船橋大神宮も焼失しました」という歴史解説があった。

 船橋の橋の由来について諸説ある海老川橋では、「地元民が小舟を並べて橋の代わりとして古代の英雄を渡らせたのが船橋の名の由来」と説明。
 徳川幕府と縁が深く、多大な寄進を受けていたという船橋大神宮では、現在造営中の家康を祀る常磐神社(もう一つの船橋東照宮)や、江戸時代の船橋出身力士「荒馬吉五郎」を生んだ土俵を見学。家康家臣である成瀬正成の栗原藩が船橋にあったことも紹介された。

 その後、参加者は船橋漁港で地元海産物の買い物タイムに。その後、不動院へ移動、大仏の顔や肩に白飯を塗って津波や漁場紛争で命を落とした漁師・住民を弔う大仏追善供養の説明に、参加者らは熱心に耳を傾けた。

 イベントに参加した小学4年生の榊凌平くんは「徳川幕府260年の基礎を築いた家康に興味がありました。家康が泊まった所に行けてよかった」と話した。海老川近くで育った山本幸子さんは「本町付近は昔は海が見えたが、環境が変わってしまった。しかし、歩いてみると見覚えのある場所が残っていて懐かしかった」とも。

 街歩きネットワーク副代表理事のさとうももよさんは、「街歩き案内人(ふるさと案内マイスター)は現在約70人。200人くらいに人材育成し活動をより活発にして、街のことに関心を持つ市民を増やしたい。関心を持てば、街がきれいに健康に豊かになる」と話した。

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船橋御殿跡にて 船橋御殿跡の周りを歩く
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御殿跡にある東照宮 森田呉服店前で御成街道と戊辰戦争の説明をうける
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造営中の常磐神社(船橋の東照宮)の説明 船橋漁港での買い物

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不動院で大仏追善供養の説明をきく参加者  

※この記事に記載の情報は取材日時点での情報となります。
変更になっている場合もございますので、おでかけの際には公式サイトで最新情報をご確認ください

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MyFuna編集部

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