2010年03月06日 配信

3月6日(土)

「以上挙げた二十五箇所の中で、私には、千葉船橋町の家が最も愛着が深かった。私はそこで、『ダス・ゲマイネ』というのや、また『虚構の春』などという作品を書いた。どうしてもその家から引き上げなければならなくなった日に、私は、たのむ!もう一晩この家に寝かせてください、玄関の夾竹桃も僕が植えたのだ、庭の青桐も僕が植えたのだ、と或る人にたのんで手放しで泣いてしまったのを忘れていない」『十五年間』の一文より。

aogiri01.JPG太宰治が愛した『夾竹桃』と『青桐』、その青桐の子孫が太宰治の旧居後(船橋市宮本1丁目)の向かいの家の庭に発見され、既に夾竹桃が植えられている船橋市民文化ホール敷地に或る『太宰治の記念碑』に6日に植栽され、セレモニーが行われた。

aogiri02.JPG当日は、船橋市で過ごした最初の妻・小山初代の叔母で、太宰治をめぐる初の随筆集を出版した吉澤みつ(100)さんの親類で船橋市在住の松崎素子さんも駆けつけセレモニーに参加した。

aogiri03.JPG太宰治と交友のあった山岸外史が太宰治あてに贈られた「初代さんは最初の枝 あの高い枝 夜になると星が見える」の詩を今後植栽された青桐の前に掲げたいとディスカバー船橋実行委員会会長の海老原義憲さん。

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MyFuna編集部

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