2016年01月01日 配信

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菓子屋は子どもたちの秘密基地的存在

駄菓子ときいて、幼少時代を懐かしく思い出す人も多いに違いない。ひところに比べればその数は激減しているが、船橋近郊では今でも子どもたちを温かく見守っている駄菓子屋がある。その経営者たちはほとんどが現役をリタイアした年齢層。「子どもたちに元気をもらっている」と口をそろえるが、一方で万引きや不法駐輪、周辺住民への対応など、運営上の苦労も多いという。「貼りたくなかったけれど、万引きは犯罪だと注意を喚起するポスターを貼らざるを得ない状況」と話す店主や、「不法駐輪が多くて外に監視力メラを設置するしかない状況」と話す店主もまた親の過干渉などで、容易に子どもを注意できないと難しさを話す。一方で「どこでも見せられない素の顔をここでは見せる子もいる」とも。学校や家庭でも「いい子」を演じてしまう子にとって、鬱積した思いを開放できる、素の自分でいられるホットスペースのひとつが駄菓子屋なのかもしれない。駄菓子屋の店主たちは、社会の宝を育てているという自負がある。また駄菓子屋の営業を始めるにあたっても、万引きなどの問題が浮上した際なども、卸問屋の「山下商店」や、運営を軌道に乗せている「だがし屋リユウ君の店」ヘ話を聞きに行くなど、そのネットワークも整いつつあるようだ。駄菓子屋というホットスペースで、リタイヤした大人が子どもたちに元気をもらい、子どもは大人から知恵と知識をもらい、双方が社会貢献している姿が見えてきた。

イペントがあれば山下へ行こう!,と市民に愛されている山下商店。
店主の山下大八さんに、駄菓子や駄菓子屋についてお話しを伺った。

駄菓子屋はいつ頃からありましたか?

江戸時代に端を発しているようでづが、当時は水飴が元となった庶民のおやつだったようです。当時砂糖は貴重なもので駄菓子に使われる材料は 黒砂糖やザラメなどでした。現在の駄菓子のほとんどは明治時代からの流れを引き、戦後発達したものがほとんど、今もクジやあたり付きなどで、子供心をそそる工夫がされています。
船橋での駄菓子屋1号店はここ「山下商店」なんです。最初は駄菓子屋を営み。当時は東京に発注、船で葛飾の港(当時は今の国道14号線より海が広がっていました)まで届いたので受け取りに行っていたということです。

駄菓子屋のはたしている役割をお聞かせください。

今も昔も子供たちのコミュニティーの場であることは間違いないです。そして、子ども自身がお小遣いの中から、初めて自分の采配でものを購入するという、経済社会へのデビューの場でもあります。また、社会のルールを家族以外の大人から教わる場所でもありますよね。しかしモンスターペアレントという言葉がありますが、親の介入が激しいようで、なかなか注意いたし叱ったりするとが難しい現状もあるようです。

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船橋市場の関連棟の中にある駄菓子の卸問匡で、慶応元年創業。当初は駄菓子屋だったが、3代目から卸問屋になる。届主の山下大八さんは4代目。駄菓子はほとんどのものがことでそろう。近隣の学校や子ども会などで、バザーやお祭りなどのイベントがあるとき、また高校の学園祭で駄菓子の販売をするとき、みんなここに買いに来ると言っても過言ではない。返品可能の代金後払いシステムや、売り方の講習会忽ども毎年開催し、高校の学園祭などでも好評を博し、お礼の手紙がよく届くという。

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店名の「リュウ君」は飼っていた犬の名前。自宅のキッチンスペースをDIYで駄菓子店舗に改造。店主の松田さんは、駄菓子屋の店主をはじめ、ストリートパフォーマーとしても活躍している自称「7つの顔を持つおじさん」。10円で買える駄菓子のほか、駄菓子を使った店庖主オリジ、ナルメニューが好評だと言う。

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市内で青果店を聞いていた藤代和子さんが、船橋大神宮近くの路地裏で経営していた駄菓子屋大川商店からバトンタッチ、2015年8月30日にリニューアルオープンした。リニューアルの際に店舗横の駐車場スペースも借り、子どもの憩の場として提供。駄菓子とともに船橋市場で仕入れた新鮮野菜も販売している。

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1961年創業で、丸山中央商居会で子どもたちの憩いの場となっている。庖名は当時周辺に木々の緑が多かったことから命名。音は近くに銭湯があり、そこへ行く親子連れが帰りに母は食材などの買い物を、子どもはここで駄菓子をというスタイルだったという。今は2代目の本運宏道さんが経営。駄菓子をはじめ学校で使うノートやペンなどの文房具、糸などもある

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他の駄菓子屋とは少し毛色が遣うが、ここはサービス付き高齢者向け住宅「銀木犀」の敷地内にある駄菓子屋。目的は高齢者に役割を担ってもううことで、居主は入居者の一人が担当、他の入居者も手伝いをするシステム。夢のあるログハウス内は冷暖房完備。子どもたちは購入した駄菓子を、「銀木犀」のコミュニティスペースで食べることもできる。

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親の代かう引き継いだ船橋大神宮近くの路地裏にある駄菓子屋を2年ほど経営し、「どんべ」店主の藤代さんにバトンタッチ。その後行田にある自宅の力一スペースに大型物置をセットし、 9月19日に「だがしや大川商店」をオープンした。近隣には4つの小学校と中学校1つがあり、人づてにたくさんの子どもたちが集まってくる。落ち着くまでは5人単位の入れ替え制にして対応。

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※この記事に記載の情報は取材日時点での情報となります。
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