2013年05月01日 配信

船橋駅南口再開発の歴史 ―FACEビル建設から10年―

201305_face_main.jpg
【2003年5月】FACE ビル完成当時の写真。
最先端技術の「光触媒」を使った「汚れにくい」塗装が施されている。

◆中核市「船橋市」と船橋の顔「FACEビル」の誕生

急速な発展を遂げてきた船橋市。高度経済成長期には「日本の香港」と言われるほど商業都市としての威勢を誇ったという。船橋市 では早くから市の経済・市民活動など文化の中心を担う場所は船橋駅南口とみて昭和40年代から駅前開発に関する総合計画を描いてきた。

昭和53 (1978)年から57(1982)年にかけて地元権利者代表による「権利者代表会議」、関係権利者全員による「全体会議」を組織、JR総武線と京成船橋駅に囲まれた3・5ヘクタールの地区をどのような形で発展させてゆくべきか、関係者間での慎重な話し合いが数十回に渡って行われたという。

FACEビル周辺の道路工事は夜間に行われたという。交通量の多い駅南口では日中の工事が困難を極めたためだという。当時担当していた市職員は、「工事に立会う為、建設事務所に泊り込みの日も1度や2度ではありませんでした」と苦労を語る一方で「何十年に一度あるかないかの大きな変化に当事者として立ち会えたのは素晴らしい経験だった」とも語っている。

201305_face_02.jpg 201305_face_11.jpg

こうした紆余曲折を経て「FACEビル」は、地下3階(駐車場部分含む)、地上14階の再開発ビルとして平成15(2003)年に完成。時を同じくして船橋市も千葉県内初の「中核市」としてその存在感を確固たる物にした。


地上4階まではショッピング・グルメゾーンとして数々の実力派テナントが入居。5階には休日に便利な行政機能を、6階には「市民文化創造館」(=きららホール)、7階以降はオフィスビルというまさに「船橋の顔」に相応しいテナントビルとなった。 今年はFACEビル完成から


10周年ということで企画が進行している。商業ゾーンの使用開始日となった4月17日前後には、様々なイベントが行われた。3月には商業ゾーンで買い物したレシートで電動自転車が当たるキャンペーンを実施、4月から5月初旬まではFACEビル地下1階でビルの歴史をつづった写真パネル展も開催されている。


▲【1990年1月】
看板広告が当時の市民生活を物語っている。
.

▲【1996年3月】
「船橋駅南口第一地区再開発見直し方針(案)」
全体会議で了承。写真中央は大橋和夫前市長。

▲【1997年4月】
船橋駅南口の正面にあったファーストキッチンが移転。

▲【1997年7月】
駅前ビルの大掛かりな解体作業がすすむ。

▲【1997年12月】
西武百貨店からのぞむ駅南口。
ビルの解体が進み駅前の様子が一変している。

▲【2001年11月】
かつて「丸井」が入居していたビルは「田原屋」撤退の

あとに「ダイソー」が入居。再開発ビルの建設がすすむ。

▲【2002年2月】
着々とすすむ京成高架化工事の様子がうかがえる。
.
.

▲【2002年12月】
駅と再開発ビルを結ぶ連絡通路が架けられた。
他の場所で組んだものを一度解体して夜中に組み
なおした

▲【2003年4月】
FACE ビル完成記念式の様子。
近隣商店街の店主ら関係者も多く参加した。
【2003年3月】
連絡通路が完成。
再開発ビルの名称も「FACE ビル」と命名され。

※この記事に記載の情報は取材日時点での情報となります。
変更になっている場合もございますので、おでかけの際には公式サイトで最新情報をご確認ください

スポンサードリンク

MyFunaの最新情報はこちらから
関連キーワード