2009年04月01日 配信

vivaio_top.jpg彼は、日本サッカー界の明日のため。

自己主張のためサッカークラブを創った

大学を卒業して最初に小学校の担任になったときに肢体不自由児の学校で最重度クラスの担任になったんです。それまで体育の教員を目指してやってきた僕にとって、一年に何名か当たり前の様に児童が亡くなってしまうという環境はものすごいショックでした。

 その次に、知的障害者のクラスを10年間担任したのですが、「この子達は全然大丈夫」って感じました。当時、障害者は6時間の立ち仕事が出来なきゃだめだって言われていたんですが、これだと腰痛持ちだったり、足が悪い子は就職なんてできないじゃないですか。それでもやっと就職できたとしても、一ヶ月の給料が五千円なんて事もあったんです。「これは明らかに社会の仕組みがおかしいんじゃないか」って気が付いたんです。

 

ちょうどこの頃、Jリーグが創設されて千葉県内でもクラブチーム志向が高まってきていたんです。ところが当時のクラブチームは「サッカーがうまければそれで良し」みたいな風潮があったんです。本当にこのままでいいのかな!?日本全体のサッカーを考えたときにこのままじゃ良い選手を作る土壌が出来ないんじゃないか。サッカーをする環境づくりから考えなきゃならんって思ったんです。ちゃんと教えられるコーチを育てて、ジュニアやジュニアユースの選手をしっかり育ててゆかなきゃならないって思って教師を辞めちゃったんです。

まず最初にやり始めたのはコーチの育成。少ないながらも、きちんと給料を支払って賃金の対価としてのコーチ業だということを理解させた。それまでは、サッカー好きな後輩にボランティアでコーチをさせているようなチームが多かったので、理論からキチンと教え込んだんです。

当初は、ジュニアやジュニアユースにはそれなりの指導方法があって当然だと、ジュニアユース専門で個性や個人技を伸ばす為の指導を始めたんです。はじめの数年は全くといっていいほど選手が集まってこなかった。そりゃ~そうですよね。実績のあるクラブの方がどうしたって人気があるんだから。自分の指導方針を信じて将来を見据えながら12年間コツコツと取り組んできました。

vivaio_1.jpgそれが実ってきたのか、最近になって関東全域からトップクラスの選手が集まって来るようになってきました。ウチにセレクションを受けに来る子の中にも普通に2~3人はプロになってやるだろうなって子がいますよ。桁違いにレベルの高い子がいるんです。ちょっとサッカーをやったことのある方だったらスグに判っちゃう位に飛び抜けたのがいるんですよ。コツコツと積み上げてきた信頼と実績。でもそこにあぐらをかくようになったらおしまいです。小さな自信が生まれ、自信は過信になり、過信は慢心に変わる。そうなったらおしまいです。

 

 

 

MyFunaの最新情報はこちらから
関連キーワード
情報スクランブル

情報スクランブルの記事一覧へ

加盟店・店舗ブログ

加盟店・店舗ブログ一覧へ