2009年04月01日 配信

長年、市の仕事に携わってきた経験を生かして、

「生き生きとしたふれあいの都市・ふなばし」の

実現を目指したい。

hukusityou-04011.jpg前回の松本敦司副市長に続き、今回はもうひとりの副市長である平丸藏男氏にお話を伺った。船橋市役所内の複数の部署を歴任し、現在のお立場に至ったベテラン。建設局区画整理課在籍時には市内を歩き回ったというだけあって、船橋のすべてを熟知した人物であるともいえる。休みを返上して働き続ける市長の補佐役として、人脈をフルに活用する毎日。

 

平丸副市長はもともと船橋市役所のご出身ですよね。

 

「そうです」

 

どのような経緯で市役所に入ることになったんでしょうか?

 

「学生時代から、なにかと船橋には縁があったんです。仲のいい友人が船橋に住んでいましたから、何度か遊びに行ってましたし。それに私は学生時代に福祉関係のクラブにはいっていて、福祉施設の慰問や歳末たすけあいへの協力などをしてました。そんなこともあってあのころは、市内の恩寵園という施設へ慰問をしたこともありました。というわけで、なにかと思い出深い街なんです」

 

だから、市役所に勤めたいとお思いになったわけですか?

 

「いや、ところが最初、公務員になるつもりはなかったんです(笑)。ある自動車会社に就職が決まっていたんですけど、現場を知ると言うことで、一年間は全国のどこかのディーラーで営業をやらなければいけないということだったんですね。ところが営業向きではないし、多分一台も売れないだろうと辞退してしまって。そんなとき、船橋市が職員を臨時募集するという話を聞いたんですよ。そこで採用試験を受けたんですね。採用が6月5日と他の人よりも遅いのは、そんな理由からだったんです」

 

人より遅いスタートであるにもかかわらず、副市長にまでなられたとはすごいですね。採用後は、どのようなプロセスを進まれたんですか?

 

「最初に、建設局の区画整理課に配属されました。いまの宅地課ですね。現在はマンションが多いですけれど当時は宅地造成の仕事がメインでした。この時期は調査などで市内をくまなく動き回れたので、市内の地理が頭に入りましたね。それはよかったと思っています。以後は財政課や教育委員会、保育課、財政課、都市計画課、人事課、商工振興課などを経験しました。福祉の仕事は、保育課で初めて経験しましたが、施設修繕などで各園を回れたのは有意義でした。

 

ところで、副市長の仕事とは?

 

「市長を補佐することが大きな仕事です。様々な政策を進めていくために、いろいろと調整をしていくわけです。市長は土日も仕事があって休みなしですし、どうしても補佐役が必要になるんです。長年、市役所の仕事に携わってきた立場から、市長を支えて、住みよいまちづくりをしていきたいと思っています」

 

お酒を飲む機会も多いんでしょうね。

 

「それが、私はお酒があまり飲めないんです。もちろん会合には出ますけど、ですからお酒は…(笑)。でも、食べるのは好きなのであちこちのお店に行きますよ。

 

仕事の時間以外にも船橋のお店を利用されますか?

 

「家族を連れて食事に行く機会もありますが、そんなときには『東魁楼』に行ったり、ららぽーとや東武のなかのお店を、いろいろ利用しています。特定の行きつけのお店はあんまりないんですが、船橋にはいろんなお店がありますから、気分に応じて使い分けができて便利です。これも船橋の魅力のひとつですね」

 

船橋市副市長 平丸藏男氏

1946年(昭和21年)2月3日東京都生まれ。昭和43年6月に船橋市役所に入所。都市計画課長、人事課長、商工振興課長、総務部長を歴任。平成13年10月に船橋市助役(現在は副市長)に就任。

 

平成17年10月に再任。学生時代は福祉活動クラブに在籍。座右の銘は、「感謝」。

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※この記事に記載の情報は取材日時点での情報となります。
変更になっている場合もございますので、おでかけの際には公式サイトで最新情報をご確認ください

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