2015年08月01日 配信

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三十二歩:砂山と仙元様

東船橋の宮本中学校とその南側にある茂呂浅間神社のあたりは「砂山」と呼ばれてきました。周辺を歩いてみると、一面が砂地です。
今から約3000年前に海が遠のき、海岸沿いに広い砂地が現れた頃、南東季節風によって砂が舞い上げられ、堆積したのでしょう。この「砂山」の辺りだけでなく、千葉市から市川市まで、東京湾沿いの台地縁に堆積していくつもの砂丘を作ってきました。近くの大神宮から西福寺にかけてと、山野浅間社と「海神山」なども大きなものです。
茂呂浅間神社(写真①)は「砂山浅間(砂山仙元)」とも呼ばれ、「稲毛浅間」、「山野浅間」と並んで眺望に優れ、江戸時代から有名でした。
宮本中学校庭の西側の小しょうし祠は「弘法の井」(写真③)です。水の苦労を聞き、通りかかった弘法様が杖で突いて井戸を掘ってくれたというのです。
昭和20年代までは木々の茂りの間から池が見えました。この井戸は浅間神社の手洗いの井で、「真名井」とも呼ばれ、宮本小学校の旧校名の起こりでもあります。

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※この記事に記載の情報は取材日時点での情報となります。
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