2014年08月01日 配信

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第二十歩:池尻

新京成の薬園台駅を北側は小字で「池尻」といいました。池のうしろという意味ですから、池があったのでしょう。「池」といえば駅北西にある倶利伽羅不動です。今でも深い谷頭から水が湧き、光明寺の境内として修景されて整った池もあります。しかし、ここはかつて飯山満村本郷の地域です。
実は、享保七年の頃の「下野牧南部実測図」をみると、現在の習志野駅のあたりに「砂底池」という記入があります。「砂底」というのですから、湧水のせいで、底は砂地で浅かったのではないでしょうか。「池尻」は駅の西側ですからたしかに小字の通りでした。昭和のはじめ頃には湿地になったようです。ここから小さな流れが東へ続き、今の北習志野近隣公園を通り、船橋アリーナの調節池に続いています。つまり、この湿地は坪井町の西側を流れる駒込川の上流で、やがては印旛沼へ流れ込みます。
薬草園ができる以前は大和田原と呼ばれる牧の一部でしたから、この池は野馬の水呑場として使われていたのでしょう。

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